配達して終わりでは面白くない──運送会社の枠を超える会社
東日本クールライナー株式会社は、埼玉県上尾市を拠点に軽貨物や小型車による店舗配送を手がける運送会社である。代表取締役の金田真哉さんが率いるこの会社は、しかし「運送会社」という一括りで語られることを、あえて拒んできた。社屋の一階にはテイクアウトの店、二階はカフェのようなスペース、三階の一角は子ども支援のためにおもちゃが並ぶ。訪れた者の多くが、ここが運送会社だとは思わないという。
金田さんが繰り返し口にするのは、ただ荷物を運んで終わることへの違和感だ。
「配達して終わりっていうのは、あんまり面白くないじゃないですか。運送業に特化してるっていう風にはしたくないっていう思いが、ずっとあったんです」
飲食店向けの食品配送を得意とし、都内や大宮・浦和・川越などのエリアで、一台が一日に三十件から五十件もの店舗を回る。荷を下ろしながら店主と対面で言葉を交わす、営業力も問われる仕事だ。運送会社が敬遠しがちなこの領域を、あえて主戦場に据えている。
仙台から上尾へ。母のために始まった創業の原点
始まりは仙台だった。震災前、大手食品メーカーの物流部にいた人物と一緒に、仙台で事業を立ち上げたのが最初のきっかけだったという。だが正直に言えば、動機はもっと個人的なものだったと金田さんは打ち明ける。
「両親を早く亡くして、母親だけ生きてたんですけど、母親が障害を持っていたから。働く環境を作ってあげようかなっていうのが、本当にきっかけで」
三十歳ごろ、法改正で残業が制限される流れを前に、力試しのつもりで軽貨物を始めると、個人でも年商一千万円に届いた。二年で法人化し、そのとき事務の掃除ができる母を雇った。仙台と上尾の二拠点で続けるうち震災に見舞われ、仙台の拠点は流されて上尾一本になった。以来、二十年以上この地で歩んできた。
「右も左も分からないで始めた」という当時を振り返り、金田さんは苦労話が「ありすぎて話せなかった」と笑う。物流の拠点として立地に恵まれた上尾への恩返しの気持ちが、いまの原動力の一つにもなっている。
「ドライバー」と呼ばない。運転手の概念を捨てる教育
この会社では、働く仲間を「ドライバー」とは呼ばない。スタッフ、事業員──呼び方一つに、金田さんの哲学が込められている。
「ただハンドル握って終わりじゃないよね、っていう教育をずっとしているんです。運転手だからできないっていうのは、させたくない」
集まってくるのは異業種の出身者ばかりだ。映画館で働いていた人、NHKの営業をしていた人、FP経験者やコンビニの店長経験者。運送業からの転職者は一人しかいないという。むしろ運送に染まっていないぶん柔軟で、顧客からの評判もいい。マナー研修やお金・投資の勉強会、そしてAIのリスキリング研修まで、二十代から七十代まで全員で学ぶ。
その根底には、辞めた後にも通用する力を持たせたいという思いがある。
「よそに行っても恥ずかしくないように、っていうのは部長たちもよく言っています。ここで学んだことは、辞めた後に持って行ってもらえるじゃないですか」
就業規則を整え、残業は一分単位で支払い、ボーナスや有給も一般企業と同じように運用する。三十歳ほどで年収五百万円を超える社員もいる。運転手という括りに収めない教育が、そのまま働く環境の質に結びついている。
数字を学び、従業員の家族を守る経営者であること
いま金田さんが最も力を注いでいるのは、数字の勉強だという。経営者向けの学校に通い、経常利益をはじめとする数値を常に頭に入れて銀行との交渉に臨む。
「経営者が数字に弱いと、会社は潰れるって分かったんです。思いつきでやってきた運送会社が多いけど、ちゃんと事業計画を立てないとダメだと」
泥臭さを厭わない姿勢は創業当初から一貫している。新規の仕事はいまも自ら現場に出て取ってくる。だが、そこまでして数字にこだわる理由は、突き詰めれば一点に行き着く。
「従業員の生活と家族を、一番に守ります。会社のホームページにも書いてあるんです。数字をやるのは、そのため」
近年はさらに、人材育成こそが最優先かもしれないと語る。自身は世代交代を見据え、会社を継がせるのではなく、育て上げた事業員の誰かに託したいと考えている。三十代・四十代の次世代がリーダーシップを取れるように──その環境づくりが、いまの大きなテーマだ。
2024年問題を先手で越えた、人手不足のない会社
運送業界を揺るがした、いわゆる二〇二四年問題。ドライバー不足が各社を悩ませるなか、東日本クールライナーには、その悩みがほとんどないという。
「残業時間がどうこうなんて、鼻から問題だと分かっていたので、早めに全部仕組み化したんです」
賃金競争が始まると読み、二年ほど前から毎年三パーセント以上のベースアップを重ねてきた。固定費として給与をしっかり織り込んだうえで利益を出す。当時は相当に苦しかったが、いずれ来るなら先にやるべきだと判断した。その結果、いまでは業界平均を大きく上回る給与水準を保ち、良い顧客にも恵まれている。
求人に関しても、これまで媒体に募集をかけたことは一度もなかった。異業種からの紹介だけで人が集まり、求人費はゼロ円だったという。
「羨ましいとは言われますけど、やり方によっては、みんなうまくやればできるはずなんです。急にメッキを塗ってもダメで、二十年間やってきたことを、そのまま伝えているだけなんで」
定年後もつながる。上尾から全国へ広げたい未来
金田さんはいま、本業と並行して新しい事業に挑んでいる。個人事業主向けのシェアオフィス型の仕組み「ステーション」を立ち上げ、税理士会や協会とも連携しながら、上尾をモデルケースに全国展開を目指す。個人事業主の社会的地位を高め、定年後も働ける環境をつくることが狙いだ。
「六十五歳の定年後も、ここで培ったノウハウで個人事業主として稼げる。年金をもらいながら働ける環境を作りたい。終わらないで、つながっていける関係にしたいんです」
異なる世界へ飛び込むことへの怖さも、正直に語る。だからこそ、社員にも自分にも同じ言葉をかけ続ける。何歳になっても挑戦できる、と。そして毎日、あえて口に出すのだという。
「今日が、今までの人生で一番いい日だな、って思うようにしなって。嫌なことがあっても、口にすればいいことに変わる。そうすると次につながるんです」
否定から入らず、まず全部を聞く。社内でも若手の相談を一手に引き受ける聞き役だと笑う金田さんの言葉には、二十数年を一代で築いてきた者の重みがある。運送という枠を超え、人を軸に据えたこの会社が、上尾からどんな未来を描いていくのか。その挑戦は、まだ半ばだ。
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