城陽で37年、「町医者」のように家を支える。社員から継いだ二代目の仕事観

代表取締役瀧瀨 重幸

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血縁のない社員が受け継いだ、昭和55年創業の不動産会社

株式会社平山宅建は、京都府南部の城陽市に拠点を置く不動産・建築の会社だ。城陽市は宇治茶で知られる宇治市の南隣、京都と奈良のちょうど中間あたりに位置する。昔の距離の単位で一里は約4キロ。京都の都からも奈良の都からもおよそ五里ずつ離れていることから、「五里五里の里」とも呼ばれてきたという。

会社は昭和55年、平山氏が創業した。社名の「宅建」は宅地建物取引業のこと。不動産の売買仲介から始まり、仲介したお客さんの家のリフォームを手がけるようになり、リフォームの規模が大きくなると「そこまでやるなら新築はどうですか」と新築の請負へ。お客さんのニーズに合わせて、事業は少しずつ広がってきた。

「家の蛇口のパッキンから、売買から相続から、新築を建てるところまで。すべて携わってきましたんで、総合プロデュース業だと思ってます」

代表取締役の瀧瀨重幸氏がこの会社に入ったのは平成元年。それから37年、一度も会社を離れることなく働き続けてきた。5年前に代表に就任し、創業者の平山氏は3年前に他界した。創業者の子息は別の仕事に就いており、瀧瀨氏と創業家との間に血縁関係はまったくない。

地方の中小企業では、創業者が年を重ねても後を継ぐ人がいないという後継者問題が、あらゆる業界で起きている。そうしたなかで、血縁のない社員が二代目となった平山宅建は珍しいケースだ。ただ、瀧瀨氏自身の説明は飾り気がない。

「他の社員の方は、たまたま独立されたり辞めていったりで、私がまだ残ってた。分母が小さくて、私しかいなかったっていうのが正直なところなんです」

不動産は独立しやすい業種で、転職する人も多い。大企業は別として、京都で一つの会社に37年勤め続けている人は珍しいのではないか、と瀧瀨氏は笑う。

家のことなら何でも相談できる「町医者」として

社員として働いていた頃はプレイヤー、今はマネージャー。ただ、代表になる前から会社全体の運営や企画を担いながら自ら営業もするプレイングマネージャーだったため、やることは基本的に変わらないという。今でも現場に足を運び、お客さんの家の棚を取り付けることもある。

経営者として大事にしていることを尋ねると、答えは「地域密着」だった。ビルを建てるような大きな建築会社ではなく、小さな町の小さな不動産・建築会社として、地域の人にどう貢献し、喜んでもらえるか。瀧瀨氏はそれを、病院にたとえて説明する。

「大学病院とか、がんセンターとかあるじゃないですか。でも、ちょっと風邪ひいたり、子供が熱出しちゃったりしたら町のお医者さんに行く。僕らが思ってるのは、町医者の感覚なんですよ」

リフォームも、家の売買も、「息子が結婚するから賃貸物件はありますか」といった相談も、家のことならあそこに言えばいい。そう思ってもらえる存在でありたい。一方で、大きなプロジェクトのように自社では対応できないことは、医者が大学病院を紹介するように、大きな会社に任せればいいと考えている。

そして、それを担うのは代表一人ではない。事務員も、営業担当も、代表も、全員が「チーム平山」として地域のために何ができるかを考える。瀧瀨氏はテレビ時代劇の『水戸黄門』や、ゴルフクラブを例に挙げる。一行に黄門様ばかりが何人いても旅は成り立たないし、14本のクラブがすべてドライバーでも、すべてパターでもスコアはまとまらない。それぞれの立場と役割がうまく重なって、はじめてチームになるという。

仕事の苦労についても、瀧瀨氏の捉え方は独特だ。新入社員には新入社員の、トップにはトップのしんどさがある。それでも、問題が出てきたら「こうやったら解決するんじゃないか」と考え、解けたら「よし、ゴール」。お客さんから大きなクレームが来ても、どのカードをどのタイミングで出すかを考える。仕事である以上いい加減な気持ちではできないが、そういう捉え方をしてきたからこそ、ストレスをためずに続けてこられたと語る。

軸はぶらさず、時代に合わせて変わり続ける

時代の変化への向き合い方を尋ねると、瀧瀨氏は「温故知新」という言葉を挙げた。古きを大事にしながら、新しきを取り入れる。地元を大事にし、困っているところにまず行く。「こっちが儲かるからこっちにしよう」ではない。その会社の軸は絶対にぶらさない。一方で、やり方は変えていく。

たとえば広告。これまで続けてきた新聞の折り込みチラシは、印刷からデザイン、折り込みまで含めると、小さな町でも1回50万〜60万円ほどかかる。SNS広告なら、地域や年齢、年収などでターゲットを絞り、費用を抑えて広い範囲に届けられる。見る側が家族そろってテレビを見る時代から、一人ひとりがスマートフォンで好きなものを選ぶ時代に変わった今、発信もピンポイントでいいと瀧瀨氏は言う。

「変化しないやつは、もう淘汰されていく。これは昔から言われていることなんで」

建築の世界も同じだ。部材も、キッチンなどの設備も、建て方も変わっていく。大きな地震が起きるたびに建築基準法は見直され、柱の太さや基礎の鉄筋の入れ方も変わる。「うちはこのやり方でいい」と言い張ることはできない。

その背景には、不動産が「売りっぱなしの商売ではない」という考えがある。スーパーで大根を買うのとは違い、家は住んでからの時間が長い。子どもが生まれ、やがて介護が始まり、20年、30年と経ったときに家に不具合が出たり雨漏りがしたりする。そのときに会社がなかったら、お客さんが困ってしまう。

「儲かった方がいいけど、儲かる前に存続させる。それがやっぱり、売った責任やと思いますし、それが信頼やと思ってます」

平山宅建は、住宅フランチャイズのアイフルホームにも加盟した。瀧瀨氏によれば、アイフルホームは地元の工務店がそれまでのやり方を続けながら、頑丈で安心できる家づくりのノウハウを取り入れられる仕組みだという。平山宅建の看板を下ろすわけではない。地元の会社としての安心感と、背景にある大手建材メーカーの安心感を組み合わせられることが、お客さんにとってのメリットになる。

ネットでキッチンを買って自分で取り付ける人もいる時代、地元だけではお客さんの分母が小さくなっていく。会社を未来に残すため、隣の奈良県や京都市内にまで範囲を広げようとしている。アイフルホームのテレビCMを見た人が、京都で扱っている会社として平山宅建を知ってくれる。そうした新たな出会いも生まれている。

人手不足は感じない。正確さ、スピード、量の順番

社員は瀧瀨氏を含めて10人ほど。問い合わせが増えて手が回らなくなることはないのかと尋ねると、「ないんです」と即答した。新築を年間10件建てるとしても、同じ月に10件の依頼が重なることはない。散髪屋に1カ月100人来るとしても、1日に60人が押し寄せることはないのと同じで、不思議とうまく収まるのだという。

「人は足らず足らず、ちょっと少ないがちょうどです。10人いるなと思えば、8人ぐらいでやるのがちょうどぐらい。その方がパフォーマンスが上がると思うんです」

建築・不動産業では珍しく、平山宅建は日曜日も休みにしている。休まず働けではなく、限られた時間のなかでどうやって効率よく進めるか。その土台にあるのが、瀧瀨氏が考える仕事の三つの要素だ。

一番目は正確さ。間違えれば二度、三度とやり直しになり、人の手も余計にかかる。二番目はスピード。コピーを10枚取るのに1時間かけるより、手早く終えた方がいい。無駄を考え、誰かの手を借り、昨日1時間かかったことを今日は55分でやる。そうして生まれた時間で次のことを考えられるようになる。それが三番目の量につながる。

工場のように人数に比例して生産量が上がる仕事もあるが、サービス業は人を増やせば売上が上がるものではない。瀧瀨氏は、人を増やして長く働けば収穫が増える「農耕民族」のやり方と、刃物を研ぎ、弓矢を整え、人の配置を考えて効率よく獲物をとらえる「狩猟民族」のやり方を対比させる。自分たちは後者でありたいという。

人を大切に育てることも、中小企業ならではの考え方だ。大企業は新入社員を多く採用し、一定数が辞めることを前提にしているとよく言われる。一方で平山宅建のような会社は、一人の社員と3年、5年と一緒に仕事をしながらキャリアアップしてもらい、やがてチームリーダーになってもらうという考えでやっている。

整備士、レンタカー所長を経てたどり着いた仕事

瀧瀨氏のキャリアは、最初からこの仕事に向かっていたわけではない。高校を卒業後、名古屋にあるトヨタ系の整備士の専門学校に進み、京都のトヨタのディーラーで整備士として3年働いた。とりあえず就職してお金を稼がなければと考えていたが、自分には合わなかったという。当時はまだ19歳。自分がどんな人間なのかも、よくわかっていなかった。

次に選んだのは、マツダのレンタカーの仕事だった。2年ほど働き、23歳の頃に所長を任された。おそらく全国で一番若い所長だったという。50台ほどの車の配置を考え、アルバイトのシフトを組む。そこで初めて、マネジメントやサービスの仕事が楽しいと感じた。

「トヨタレンタルや日本レンタルといった大企業と対決するには、どうしたらいいのかなと。保険会社に入っていって、机の上に勝手にメモを置いて、飴玉を一個つけて、手に取ってもらうようにしたりとかですね」

その後、結婚して家を買おうとしたときに、たまたま平山宅建と縁ができた。それが、37年にわたる今の仕事の始まりだった。

学生へ、大きな歯車の歯より小さな歯車の軸に

最後に学生へのアドバイスを求めると、瀧瀨氏はまず「10人いれば10人の考えがあっていい」と前置きした。都会に出て活躍したい人もいれば、友達がいて休日も楽しい地方がいいという人もいる。大企業がいい、地方がだめ、ということではなく、すべては価値観だという。そのうえで、自分自身の考えをこう語った。

「ごっつい大企業の、ごっつい歯車の歯の一個よりも、ちっちゃい歯車の軸の方が、仕事って面白いと思ってるんですよ」

大企業に入れば、倒産の心配はほとんどないかもしれない。だが、自分の企画が通るかどうかは別の話だ。地方の中小企業なら「社長、SNS広告がいいと思うんです」「いくらかかる?」「10万円ぐらいです」と、話がすぐに決まることもある。イベントへの出店を任され、自分で段取りをする。失敗したら次へ、成功したら次は倍のスケールで。規模が小さいからこそ、軸になれる。

瀧瀨氏は、地域の子どもたちを集めて建築やネイルなどの仕事を体験してもらうイベントにも参加している。この町にはこんな仕事があって、こんな素敵な人が働いている。それを知ってもらうためだという。

転職についての考えも率直だ。20歳前後で一生続けられる仕事がわかるはずがない。自分自身も、整備士、レンタカーと仕事を変えてきた。

「やることがわからないのは当たり前で、やってみて合うかどうかなんですよ。石の上にも三年という気はないです。三日坊主って言うけど、やらないよりも三日やったのがすごいですよ」

何が正解かは、誰にもわからない。だからこそ、恐れずにチャレンジを重ね、自分の感性に合うものを見つけていけばいい。失敗してもいいから、とりあえずやってみる。37年間、一つの会社で地域と向き合い続けてきた瀧瀨氏の言葉は、遠回りも含めて自分の道を選んできた人ならではの、軽やかさと重みを併せ持っていた。

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