京都で百年、家族で守り続けてきた工務店
株式会社竹田工務店は、京都の地で創業から100年を超える歴史を重ねてきた工務店である。初代が興した会社を、竹田家の人間が代々受け継いできた。現在は従業員20名にも満たない小さな規模で、戸建ての木造住宅を中心に、設計から施工までを手がけている。
代表取締役の竹田俊介氏は、その四代目にあたる。一級建築士の資格を持ち、自らの家も設計したという竹田氏は、京都という街に根ざした会社の姿を率直に語る。
「うちは100年を超えてるかもしれんけど、会社の規模としては非常に小さい規模。従業員も20名にも満たない数でやってるんで、新しい人が来てくれるっていうんだったら、すごくうれしいこと」
建設業界に若い人がなかなか入りにくいイメージがあるなかで、その空気を変えていけたら嬉しい――そう語る言葉には、地域と技術を守り続けてきた会社ならではの実感がにじむ。
四代目として継ぐという選択
竹田工務店の初代は、竹田氏の曽祖父にあたる。二代目が祖父、三代目が祖父の弟である大叔父、そして四代目が竹田氏という流れになる。三代目の大叔父は今年90歳で逝去したが、竹田氏とは49歳もの年齢差があり、世代が一つ飛んだ形での承継となった。
竹田氏が代表を継いだのは5年前、35歳の頃のこと。ちょうどコロナ禍のさなかであり、当時の先代はすでに84歳を数えていた。「私に白羽の矢が立った」と振り返るが、その背景には、家族で運営してきた会社に自分以外に継ぐ者がいないという事情もあった。
それでも竹田氏には、この会社を絶やしてはならないという思いがあった。祇園祭の仕事に代表される、長年にわたって培われてきた技術と知識。それが自分の代で途絶えてしまうことへの惜しさが、承継の決断を後押しした。
「今まで培ってきた技術であったり、知識であったりが、ここで絶えてしまうっていうのは非常にもったいないし、続けるべきっていうふうに思った」
会社に戻ってきたのは2014年頃。それ以前は京都の地方ゼネコンで4年ほど働いた。マンションや工場といった大規模な建築に携わり、新入社員時代には2カ月ほど休みなく、毎日夜中まで働く日々もあったという。戸建て木造が中心の自社とは扱う規模が異なるものの、そこで培った知識や経験、そして激務に耐えた経験は、今も確実に生きている。
設計から施工まで、そして祇園祭を支える技術
竹田工務店のメイン事業のひとつは、戸建ての木造住宅である。ハウスメーカーの下請けとして実働部隊を担う小規模工務店が多いなか、竹田工務店はその業態を取らない。競争が激しすぎるためだ。代わりに、設計事務所からの依頼を軸に仕事を受けてきた。
設計士が手がけた住宅や建築物は、しばしば建築雑誌に掲載される。そこに施工者として「竹田工務店」の名が載ることが、そのまま広報の役割を果たしてきた。雑誌を見た人からの電話連絡で仕事につながることも、これまで少なくなかったという。竹田氏自身が一級建築士であることから、設計事務所経由の仕事と、一般の顧客から直接受ける仕事という、複数の柱を立てて会社を運営していきたいと考えている。
そしてもうひとつ、竹田工務店を語るうえで欠かせないのが、祭りにまつわる仕事である。祇園祭には70数年にわたって携わり、毎年、山鉾を立て、巡行を支えてきた。祇園祭にとどまらず、亀岡祭、上御霊神社、北野天満宮など、さまざまな神社や祭りとの付き合いが、竹田氏の代でも少しずつ広がっている。
「お祭りの仕事って、やりたいと思ってもできる仕事ではない。それが会社としてできているのは、非常に嬉しい」
竹田工務店では、山鉾の車輪までも製作する。需要そのものが多くはない特殊な仕事だが、その技術ゆえに京都府外からの依頼も舞い込む。丹波篠山の祭りで車輪を直したこともあるという。地方の祭りは金銭的に苦しいところも多いと竹田氏は言う。祇園祭のように補助金が手厚く出るわけではないからこそ、できるかぎり協力していきたい――そんな思いも語られた。
海外へ届ける、京都の大工という誇り
近年、竹田工務店は海外での仕事にも携わっている。海外の設計事務所からの依頼を受け、ドバイでの施工を何度か経験してきた。今後の展望のひとつとして、竹田氏は日本の、そして京都の大工の技術を海外へ発信していくことを見据えている。
「京都の大工っていう技術を海外に出すことで、京都ってすごいやん、京都の大工さんこんなんやってきたんやぞ、というのを見せられたらいいなと」
その視点は、職人という存在への深い敬意に裏打ちされている。ドバイの現場には、竹田氏の言う「職人」はいない。他国から来た出稼ぎの労働者が作業員として働き、技術を磨こうという意識は薄いという。それに対して日本の職人は、自らの技術をどこまで高められるかを追い求める人が少なくない。大工や左官を「さん」付けで呼び、プロへのリスペクトを自然に抱く感覚が、日本人のなかには根づいていると竹田氏は語る。
7年ほど前には、ドバイの富裕層の別荘の屋上に日本家屋を建てる仕事も手がけた。その瓦屋根は、今もGoogleアースで見ることができるという。海外に出ていくには職人の存在が不可欠であり、電圧も文化もルールも異なる環境で気持ちよく働いてくれる大工がいるからこそ、こうした仕事を受けられる。国内でその技術を生かせる仕事が減りつつあるなか、海外を柱のひとつに加えることは、技術を守り続けるための選択でもある。
資材高騰とアナログの現場、その難しさとやりがい
会社の経営者として大切にしていることを尋ねると、竹田氏はまず「京都の町を良くしたい」という思いを挙げた。建物を通じてはもちろん、学生の活動のような取り組みにもできるだけ協力したいという。一方で、経営には現実的な難しさも伴う。
ゼネコンのように営業部門を持たない竹田工務店にとって、どうやって仕事を取るかは常に考え続けるテーマだ。加えて近年、竹田氏が最もリアルな苦労として口にしたのが、建築資材の高騰である。コロナ禍のウッドショックでは木材が高騰し、同じ内容の家でも建てる時期によって数百万円単位で金額が変わってしまうこともあった。
「物価の高騰っていうのは、非常にしんどいのかな、その中小規模の会社は」
竹田工務店には決まった商品価格があるわけではなく、家ごとに見積もりを行う。手間はかかるが、その分、顧客の細かな要望を取り入れられることがメリットでもある。また、大工という職業はそもそもアナログな仕事だと竹田氏は言う。日報も長らく手書きで、ようやくデジタル化に踏み出したところだ。広告費もこれまでほとんど使ってこなかった。
それでも、大工の技術がなければ祇園祭の仕事も海外の仕事も成り立たない。「その技術があるからできる仕事を取っていかないと」という竹田氏の言葉には、職人を抱える経営者としての責任感がにじむ。大工が減り続けるなかで、竹田工務店には現在8人の大工が在籍している。祇園祭に携わっているという事実が若い職人を惹きつけ、今年も新卒が1人入社した。採用活動を一切していないなかでの入社であり、竹田氏は「ありがたい」と繰り返す。
学生たちへ、キャパシティを広げる経験を
最後に、学生に向けたメッセージを求めると、竹田氏は「古めかしい考え方かもしれない」と前置きしたうえで、こう語った。
「めちゃくちゃしんどいことは何か一つでもしておいた方がいい。これだけは誰にでも自慢できる、みたいな経験は、絶対にしておいた方がいいと思います」
大変なことをやり遂げた経験は、その人のキャパシティを広げると竹田氏は言う。100の苦労を経験した人なら、50の壁に直面しても「まだ行ける」と思える。逃げることそのものを否定するのではなく、逃げる判断ができるのも、しんどい経験を積んできたからこそだ。だからこそ、自分の器を広げられる何かに一生懸命取り組んでほしい――そんな願いが込められている。
コロナ禍を経て、ウェブでのやり取りが当たり前になり、若い世代とつながりやすくなったと竹田氏は感じている。「それを活かさない手はない」。100年を超える技術を受け継ぎながら、新しいつながりや発信にも目を向ける四代目の姿勢は、伝統を守ることと未来を切り拓くことが決して矛盾しないことを、静かに教えてくれる。
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