地方から全国へ、業界ごと大きくしていく設計事務所

会長矢野 久

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「設備設計」という、学校では教わらない仕事

株式会社矢野設備設計は、大分県を拠点に建築設備の設計を手がける設計事務所である。創業から43年、いまでは14名の技術者を抱えるまでに成長した。会長を務める矢野久さんは、一つの建物ができるまでの設計を「意匠設計」「構造設計」「設備設計」という三つの役割に分けて説明してくれた。空調や電気といった建物の機能を担うのが設備設計であり、その需要は全国的にも決して多くはない。

だからこそ、この仕事には独特の難しさと面白さがある。矢野さんいわく、設備設計は学校では教わらない技術だという。

「意匠設計や構造設計はある程度、高校とか大学で教えるんだけど、設備設計という業種だけは学校では教えてくれない。だから会社に入ってから、代々先輩たちが築いてきた技術を教えていくという流れになっている業界なんです」

需要が限られる分、競争相手も少ない。うまくやれば仕事はいくらでも取れる業界だと矢野さんは語る。同社の仕事はおよそ8割が役所関係――大分県や各市町村、国の仕事が中心だ。近年では、災害拠点となる体育館への空調設置設計にいち早く取り組み、別府市や大分市の小中学校への体育館空調を広めてきた。「攻めの提案型」で仕事そのものを生み出していく姿勢が、この会社の根幹にある。

24歳での創業と、市議会議員を経て学んだこと

矢野さんは大分高専の出身だ。学生時代からさまざまなアルバイトをしながら、いずれは自分で起業したいと考えていた。高専を出れば県外の大手企業に就職するのが通例だったが、先輩たちの話を聞くうちに、別の道を意識するようになったという。

「大手に入っても、どうしてもサラリーマンで終わってしまう。それなら自分で起業した方が地域のためになるのかなと思って始めた、というのが本音です」

24歳での起業。資本金のない状態で最も手取り早く始められる仕事が設計事務所だった。地元の設計事務所で3年間学び、独立。最初の1年は一人で仕事をこなし、2年目からは前職の先輩を引き入れ、さらに若手を採用して少しずつ人を増やしていった。

順風満帆に見える歩みのなかにも、苦労はあった。矢野さんは45歳前後で社長を当時30代の社員に譲り、自身は大分市の市議会議員となる。しかし社長がまだ若く、社内のコミュニケーションが十分に取れていない時期でもあった。議員を務める間、会社の売上は落ち込み、銀行とのつながりの薄い社長に代わって矢野さん自身が借り入れをして会社を支えた時期もあったという。「これじゃダメだ」と一期で議員を辞め、会社に戻ってサポートに徹する道を選んだ。以来20年、会長として実務を社長に任せながら経営を支える体制を続けている。

未経験から育て、独立まで応援する人づくり

同社の技術者の多くは、Uターンで大分に戻ってきた人材だ。そして、そのほとんどが未経験からのスタートだという。設備設計は学校では教わらないからこそ、会社が一から育てる。矢野さんが求めるのは、経験の有無よりも意欲だ。

「若くて意欲のある方がいい。下手に他のところで技術を学んでいると、うちの技術と比べてしまう。できれば何も知らずにうちに入っていただいて、うちの技術を覚えて、根付いてくれる方を探しています」

資格取得への支援も手厚い。設備設計の仕事は資格がなければ取れないため、同社は学習費用を出し、勤務しながら資格を取れる体制を整えている。資格を持つ社員が多いほど対外的な信用につながり、プロジェクトへの参加でも有利になるからだ。矢野さんは日本の業界団体の役員として月に一度は東京へ足を運び、地方の意見を国土交通省などに届けてきた。今年7月には建築士法が見直され、来年からは実務経験がなくても試験を受けられるようになる。若手社員たちも「受けます」と意欲を見せているという。

興味深いのは、育てた社員の独立に対する姿勢だ。技術を身につけた社員が独立していくことを、矢野さんは敵対とは捉えない。むしろ仕事を紹介し、サポートする。同社の卒業生からはすでに3社が同じ業界で起業しているという。

競争相手ごと大きくする、地方創生の考え方

なぜ競合すら応援するのか。その答えは、矢野さんの一貫した考え方にある。この業界は仕事量に対して受け皿となる会社の数が足りていない。だからこそ、自社だけでなく業界全体を大きくしていく必要があるのだという。

「自分のところだけを考えていたら、この業界は伸びていかない。周りも一緒に伸びてもらわないと、当社も伸びていかないと思っているんです。だから競争相手である会社も伸びてもらって、お互いが切磋琢磨しながらやっていく」

矢野さんは大分県の業界団体の会長も務め、他社にも起業や増員を促す「見本」となる会社をつくりたいと語る。自社が伸びれば協会も大きくなり、協会が大きくなれば仕事も増える。仕事があってこそ会社は存続できるという現実的な視点と、業界全体を底上げしようという公共的な志が、同社の経営には共存している。

「待っている時代から、攻めていく時代に変わってきている」と矢野さんは言う。役所に対しても「こう変えたらどうですか」と提案して仕事そのものを生み出し、災害拠点への空調整備という国の補助金の流れもうまく捉えながら、仕事のバランスを保っている。今年もUターンの若手3名――21歳が2人、24歳が1人――が入社した。さらに10名ほどを増やし、安定した企業として次の世代へバトンを渡すことを見据えている。

大分が好きだから――若者に伝えたいこと

これだけ全国を見据えながら、なぜ地方に根を張り続けるのか。その理由を問うと、矢野さんの答えはシンプルだった。

「特に理由はないんだけど、まあ、大分県が好きだからかな」

会社は矢野さんが通った高校の近くにある。自分が出発した土地の近くで、地域の人たちと交流しながら仕事をしていく。いかに地域に貢献できる会社にするか――それが経営の根底にある思いだ。地方の中小企業には新卒がなかなか集まらないという現実を踏まえ、UターンやIターンで戻ってくる若者を育てる方針を貫いている。学校や県も、若者を地元企業に定着させようという動きを近年強めているという。

矢野さんは、これからの時代の変化にも目を向けている。手書きの図面からCAD、そしてデータでのやりとりへと、40年の間に仕事のやり方は大きく変わってきた。SNSやAIについては「ついていけない世界」と笑うが、娘さんが会社のInstagramで焼肉やイベントの様子を発信し、マイナーな業種を多くの人に知ってもらう役割を果たしている。今後は発想力を持つ人材とAIを使いこなす人材が求められる時代になるだろう、と冷静に見通す。

取材の最後、矢野さんは若者へのメッセージを語ってくれた。地方に住む人は大企業を目指して一度は外へ出てしまい、それが過疎化につながっている。地方を守るためには、人が根付かなければならない。

「人が根づかないのは、地方に仕事がないから。仕事があれば、人はそこに留まって生活ができる。何のために生きているのかを若者たちがもう少し考えられたら、少し変わってくるのかなと思うんです」

好きな土地で、地域とともに、業界ごと大きくしていく。矢野久さんの40年余りの歩みには、地方で働くという選択肢を確かなものにするヒントが詰まっている。

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