家がいい、と誰もが言う。その願いを支える仕事がある

代表取締役中川 宏實

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暮らしのそばに寄り添う、多岐にわたる介護の仕事

京都に拠点を置く安心ライフ株式会社は、高齢者が住み慣れた自宅で暮らし続けられるよう、幅広いサービスを届けている会社だ。代表取締役の中川宏實氏は、その事業内容を一つひとつ丁寧に語る。

柱の一つは、介護保険の利用者に向けた福祉用具のレンタルだ。ベッドや車椅子、歩行器といった道具を貸し出し、それに伴って手すりの設置や段差の解消といった住宅改修も手がける。特別養護老人ホームや病院への福祉用具の販売も含め、この領域が事業の約半分を占める。

残る半分は、段階に応じた三つのデイサービス、そして訪問介護のヘルパー事業だ。さらに介護保険では対応できない「お困りごと相談」にも応じている。庭の草引き、病院への付き添い、買い物の同行、犬の散歩まで。制度の枠に収まらない日々の小さな困りごとを、一つずつ引き受けてきた。

一台のテレビが変えた人生の進路

中川氏は高校時代から「いつかは自分の会社を作りたい」という思いを漠然と抱いていたという。大学卒業後は京都の繊維系の会社に就職したが、三十を手前にして「なにか違う」という感覚がどこかにあった。

転機は、一台のテレビだった。NHKで寝たきりの人を自宅で入浴させる「訪問入浴」の様子を目にしたのだ。

「ものすごくその人が喜んだ。それを見て、こんな喜んでもらえる仕事があるんやっていうところに初めて気がついた」

それまでの仕事は企業を相手にするものだった。お客さんに直接喜んでもらえる仕事があると知り、これから高齢者の時代が来るという確信もあって、会社を辞めた。福祉やボランティアの世界を、むしろ避けてきた人間だった。しかし、シルバー産業の黎明期にその世界へ飛び込み、業界に精通した経営者のもとで福祉を学んだ。約十年後、四十二歳で福祉用具のレンタルを軸に独立を果たす。

今振り返れば、若い頃に泊まった民宿で戦争の話をするおじいちゃんやおばあちゃんと交わる時間を、自分は面白いと感じていた。高齢者と関わることは、元から嫌いではなかったのだと中川氏は語る。

挨拶と笑顔から始まる会社の文化

一人で立ち上げた会社に、やがて若い社員が加わるようになった。介護の世界をまったく知らない素人ばかりだった当時、中川氏が徹底したのは、誰にでもできる最も基本的なことだった。

「まずは挨拶。知ってるとか知ってへんとかに関係なく、挨拶っていうのは誰でもできるし、非常に大切なもんやし。挨拶と笑顔。笑顔が嫌いな人はいない」

接客であり、接遇でもあるこの仕事において、挨拶と笑顔こそがすべての出発点になる。近所付き合いが希薄になり、コロナ禍で見知らぬ人と言葉を交わす機会も減った時代だからこそ、意識して伝えていかなければならないものだと中川氏は考えている。

そうした積み重ねは、やがて会社全体の文化として根づいていく。「ここはこういう会社やねんな」と理解して入ってきた人は、違和感なくさまざまな仕事に取り組んでくれる。感謝の気持ちが社内にあふれる、温かい職場の土台がそこにある。

在宅にこだわり、地域になくてはならない会社へ

創業から三十期。中川氏がこだわり続けているのは、「いかにお家で安心して暮らしてもらえるか」という一点だ。社名の「安心」には、その願いが込められている。

この仕事は一人ひとりに丁寧に向き合うため、一気に規模を広げられるものではない。デイサービスや訪問介護の商圏は狭く、地域に深く根ざしてこそ成り立つ。だからこそ中川氏は、社員たちに一つのキャッチフレーズを掲げ続けている。

「地域になくてはならない会社になりましょう」

まずは住環境を整え、転倒のリスクを減らす。次に家族やヘルパーの支えを得て、デイサービスで体を動かし、人と交わる。それでも在宅での暮らしにはいつか限界が来る。中川氏はこの四十年、数えきれないほどの施設を訪ねてきた。どれだけ立派な施設であっても、人が本当に暮らしたい場所は、やはり自宅だと感じるという。

「どんな施設に行っても、やっぱり家がいい。そこにどれだけ長いこと暮らせるように私たちができるのか、それが一番の安心」

施設に移らざるを得なくなる「在宅限界」を、少しでも先へ延ばすこと。将来的には自らサービス付き高齢者住宅のような場を設けることも視野に入れながら、必要なサービスを一つずつ加え続けている。

変わりゆく採用の現実と向き合う

この業界の収入は介護保険報酬によって成り立っている。サービスごとに報酬額が定められているため、収入には天井がある。IT業界のような高い給与水準とは、どうしても差が生まれてしまう。若い社員が辞めてIT系へ移っていくのも、珍しいことではないと中川氏は率直に明かす。

二十年近く新卒採用を続けてきたが、定着は容易ではなかった。中でも二〇二二年は、経営者として最も大変な時期だったと振り返る。入社したばかりの新卒社員が退職代行を使って五月に辞め、それをきっかけに一年で四人が続けて去っていった。

「誰かが辞めるっていうのは会社ってざわつくんですね。若い子がババッと辞めていったのが、非常に辛かった」

退職代行で最も困るのは、引き継ぎがないことだという。突然の連絡は、その日に約束していた顧客に大きな迷惑をかける。自分の都合で人に迷惑をかけることは、人としてやってはいけないことだと中川氏は語る。その後はコミュニケーションのための面談を重ね、退職代行に頼られることはなくなった。

採用の入り口では、必ず現場同行を設けている。総合職の候補者には一日営業に同行してもらい、サービス職なら現場を体験してもらう。互いのミスマッチを少しでも減らすためだ。

それでも近年、採用の現実は様変わりした。かつて会社説明会には二百人を超える来場者が行列をつくったが、今では出展する企業の人数の方が多いほどだという。売り手市場のなか、有資格者の確保はいっそう難しい。一方で、隙間バイトのアプリに求人を出した途端に応募が殺到する光景に、中川氏は就職事情の激変を実感している。ハローワークやコンサルタント、SNS発信、外国人材の受け入れまで、あらゆる手段を模索しながら人材と向き合っている。

必要とされる仕事であるという誇り

コロナ禍で、介護の仕事は「エッセンシャルワーカー」と呼ばれた。必要不可欠な仕事の一つに数えられたことを、中川氏は誇りとして受け止めている。

「あんたがいるから助かるって言われるのが、やっぱり一番のモチベーションになる。そう言ってもらえる仕事なんで、しんどくてもモチベーションに変わっていく。そういうことが得られる仕事って、そうそうない」

その手応えを社員一人ひとりが自覚し、お客さんから頼りにされる存在であり続けること。中川氏が見据えるのは、地域になくてはならない会社、すなわち地域のインフラの一つになるという未来だ。住み慣れた家で安心して暮らしたいという、誰もが抱く願い。その隣に寄り添い続けることが、この会社の変わらぬ目標である。

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