160年、京都府北部の舞鶴で塗料を扱い続けてきた会社
株式会社源兵衛は、京都府北部の舞鶴で塗料の販売を主な事業とする会社である。舞鶴と福知山に拠点を置き、近畿北部から福井県嶺南地方を商圏としている。取引先は塗装店・塗装工事会社が中心で、建設会社や工場もある。街の建物を彩る色の「もと」を届ける、いわば裏方の仕事だ。一般の生活者が日常で関わることはほとんどないが、佐々木健一氏は「京都市内には、たくさんありますよ」と語り、目立たずとも地域の暮らしを支えてきた業種であることをうかがわせる。
この会社の歴史は長い。1866年(慶応2年)の創業から、およそ160年、佐々木氏で7代目にあたる。「二代目になるんですか」と問われて「七ですね」と返す言葉には、気負いも誇張もない。京都には数百年続く商家が珍しくないためか、佐々木氏自身は「多いですよ、京都は」と、あくまで淡々と受け止めている。長く続けてきたことそのものを特別視しない姿勢が、かえってこの商いの底力を感じさせる。
近年は塗料の販売にとどまらず、ゴミ入れのような周辺商品をネットや既存客に売る試みや、動画を使ったサービス紹介にも取り組む。「これ結構いいなと思ってやっただけ」と本人は言うが、思いついたことをまず形にしてみる身軽さが、老舗の内側に息づいている。
二十歳で決まった、家業を継ぐ道。「比較のしようがない」働き方
佐々木氏は、若いころは、家業を継ぐことを考えたことはなかったと振り返る。だが父を早くに亡くしたこともあり、二十歳の頃には後を継ぐことに決めていた。学校を卒業後、塗料メーカーで1年間勤務したのち家業に入った。
それゆえ、経営者としての苦労を、他社勤務が1年のみのため、会社勤めとの比較で語ることには慎重だ。現在50歳の佐々木氏は、若い頃によく「大変でしょう」と聞かれたというが、その問いに対する答えははっきりしている。
「塗料メーカーでの1年間を除けば、他の経験がないので、他との比較ができないんです。一般的には大変やって言われるんですけど、やったことないからよくわからないですね」
もちろん「大変やな」と感じる場面は誰にでもあるように、自分にもあると佐々木氏は言う。ただ、それがサラリーマンだったら避けられたのかと問われれば「よくわからない」。最初からこの立場にいるからこそ、責任やプレッシャーもまた「そういうもの」として自然に受け止めてきた。飾らない語り口の奥に、家業とともに歩んできた年月の実感がにじむ。
特許を取った、塗料リユースという発想
源兵衛が近年力を入れているのが、余った塗料を活かす自社開発の塗料リユースシステム「アマパシャ」である。特許を取得した(特許第6142956号、7770038号、7685136号)この発想は、色の調合、塗料の特徴を利用した塗料販売店ならではの強みを土台にしている。
主要な仕組みはこうだ。フリマアプリなどで余った塗料を売る場合、たとえば「Aという塗料の白」は、白が欲しい人としか取引が成立しない。売り手と買い手は一対一に限られる。しかし白は、黒を少し足せばグレーに、赤を混ぜればピンクにと、さまざまな色へ変えられる。
「白って、いろんな色を混ぜられるんで。黒を少し入れるとグレー、もう少し足すと濃いグレー。赤を入れたらピンク。だから、そのまま出すのに比べて売れる確率がかなり上がるんです」
白のまま出品するのではなく、間に「調色」という作業を挟むことで、欲しい色を求める人にも渡せる。塗料販売店だからこそ持つ調色の技術が、眠っていた塗料に新たな買い手を結びつける。ただし調色の配合を揃える作業は容易ではなく、色見本を測色機で読み取るといった手間もかかる。「やってることは何もない」と佐々木氏は謙遜するが、業界の内側を知る者にしか描けない、シンプルで的を射た仕組みである。
顧客への提供を本格化したのはここ三、四年。その前に十年ほど試行錯誤を重ねてきた。現在は、自社の在庫管理ソフトとして使ってもらう形での広がりも進めている。「お客さんにとって結構メリットがある」と手応えを語りつつ、その良さがまだ十分に伝わりきっていないことにも、佐々木氏は正直に向き合っている。
地方で商いを続けるということ
源兵衛が拠点を置くのは、京都でも北部にある舞鶴の地域だ。「一般の方が言う京都は、京都市内のイメージ」と佐々木氏は言う。清水寺のような観光地のイメージとは異なる土地で、地域とともに商いを重ねてきた。
そうした地方の現場で、佐々木氏がいま実感しているのが人口減少と人手不足である。たまたま耳にした舞鶴市の出生数が、1990年代末の約1,000人から、2023年には428人まで減っているという話に、思わず「軽く鳥肌が立った」という。
「単純に流れで言ったら、いろんなことが半分以下になると考えたら、商売をする環境としてはやっぱりマイナスだろうなと。若者も同じように半分以下しかいない。そのとき会社が同じように減っていればいいけど、競争率も上がる」
採用の現場でも変化は表れている。求人媒体を使っても地方では思うように決まらず、直近では紹介による採用が中心だという。それでも佐々木氏は「うちは人は欲しい」と語る。営業を担い、各地に販路を開拓できる人材が増えるほど、事業の可能性も広がっていくからだ。
役に立つ会社であり続けたい
経営で大事にしていることを尋ねると、佐々木氏の答えは一貫している。「お客さんの役に立つ」。派手な理念ではなく、地に足のついた言葉だ。
「とりあえずお客さんの役に立ってたら、利益とかも、あとからだいたいついてくるんじゃないかなって思ったりしながらやっております」
目指す未来を問われても、答えは同じところに戻ってくる。「ずっと役に立つ会社であり続けたい」。それが今できているかは別として、という留保を付けながらも、その想いだけは変わらないと繰り返す。新しいことにも「役に立つことはやろうと思っている」と前向きで、使える資金は新しい挑戦に回していきたいと語る。
一方で、佐々木氏は熱い想いを言葉にして発信することを「めちゃめちゃ苦手」だと打ち明ける。中途半端に飾った言葉は、自分にとって「嘘臭い」と感じてしまうからだ。それでも、会社としてこんなことをやっている、お客さんの役に立つことをやろうとしている——そうした事実を伝えることには前向きだ。飾らないからこそ届く誠実さが、この会社の色として静かに滲んでいる。
学生時代に気づけなかった、時間という財産
取材の終盤、学生に向けたメッセージを求められた佐々木氏は「偉そうに言えることはない」と前置きしつつ、この年齢になって思うことを率直に語った。それは、時間という財産についてである。
「時間は、学生の時の方があったなっていうのは、今になって気づく。やりたいことはやってた方がいいんじゃないかな。まとまった時間がいるようなことは、もしかしたら学生の時の方がやりやすいのかなという気はする」
加えて挙げたのが体力だ。マイナスなことばかり言いますが、と笑いながら、「学生の頃は体力が全然あった。一日ガッと動ける時間が違う」と振り返る。若い頃には「年を取ったらわかる」と言われても実感が湧かなかったが、今はそれが身に染みるという。
そんな佐々木氏は、若い世代の力にも期待を寄せる。スマホの使い方などは「全然若い人の方が上手」と語り、互いに補い合える関係が生まれることを歓迎する。長い歴史を背負いながらも、変わらず前を向き、余ったものにも次の出番を見出そうとする——源兵衛の商いには、時代が移っても色あせない実直さが息づいている。

