ローカル文庫は、地方で会社を続けている経営者と、そこで働く人に話を聞いて、一冊ずつ記事にして残すメディアです。今回訪ねたのは、公益財団法人大阪観光局の田中さん。学生のまま学習塾を経営し、その後23年を展示会の世界で過ごし、いまは2030年の大阪IRに向けて走っています。「地方で働く」を考えるうえで、観光という産業がどう地域とつながるのか。その入り口を、田中さんの半生から聞きました。
失敗は、やめなければ失敗じゃない。やめなければ、それは経験にしかすぎないんです。
01. 大学一年から、七年半
学生のまま、学習塾を経営していた
大学一年の夏、アルバイトで入った学習塾が、田中さんの原点でした。社長は千葉大学医学部の学生。いわゆる学生起業の会社です。田中さんは人気講師になり、担当した教室の生徒がどんどん増えていきました。気づけば、教える側から、経営する側へ。
「大学一年から七年半、塾の経営に関わりました。青山と中野の二拠点から始めて、都内九教室と横浜一教室まで広げたんです」。内部進学の生徒向けの塾を展開しながら、同時に旅行会社も経営していたといいます。日本の富裕層を中国のシルクロードへ案内する、一人あたり数百万円という高級ツアー。主催業の資格も自分で取りました。
大学にはほとんど行かなかったけれど、留年せず四年で卒業。就職活動には、まったく興味がありませんでした。目の前の事業に、ただ集中していたからです。
02. 主導権が、日本側にない
初めてのサラリーマンは、展示会の世界だった
卒業後も三年半、自分で事業を続けます。けれど、ある課題感が芽生えていました。「視野が狭いな、と。もっと世界的な視野を持ちたくて、初めてサラリーマンになろうと決めたんです」。職の探し方すらわからず、リクルートの営業に相談。当時できたばかりの人材バンク——いまのリクナビ——に登録しました。
最初に出会ったのが、リードエグジビションジャパン(現在のRXジャパン)。東京ビッグサイト、幕張メッセ、インテックス大阪といった大規模会場で国際見本市を主催する展示会会社でした。以来23年、大型展示会やイベントの企画・運営に従事します。MICE(マイス)と呼ばれるビジネスイベントの分野が、いちばん長いキャリアになりました。
企画も集客も日本、決定権と収益は本社
最終的には役員まで務めます。それでも、いちばん辛かったのは待遇ではありませんでした。
「外資系だから、最終決定権が日本にないんです。本社にある。展示会は、商品の企画から出展者集め、来場者の集客まで、全部日本のスタッフがやる。それなのに、決めるのも、儲けをコントロールするのも本社なんですよ」。社長でさえ、世界の中では一事業本部長ほどの力しかない。その実態に気づいたときのことを、田中さんはこう振り返ります。
でも、それは社員には言わなかった。みんなが目の前の仕事を楽しめる環境をつくることのほうが、大事だったから。
03. わざわざ現地に行かなきゃ、意味がない
大阪観光局へ、そしてIRへ
2019年に会社を辞めたあと、大阪観光局に呼ばれます。六年前のことです。仕事は、MICE——ビジネスイベントを大阪へ誘致すること。そしていま取り組むのが、2030年に大阪でできるIR(統合型リゾート)です。
「IRって、カジノのイメージが強いですよね。でもカジノは日本では違法で、IRの中だけ限定的に許可される。全国で三箇所、そのうちの一つが大阪に選ばれました」。IRの条件には、ギャンブル依存症対策、国際会議場や展示会場の設置、そして「送客」が義務づけられています。集まった人がそのまま帰ってしまっては意味がない。だから大阪以外の地方へ旅してもらう仕組みが、国から課されているのです。
体験、学び、ストーリーへ
観光そのものも、変わってきたと田中さんは言います。「昔の観光は、見る観光と買う観光。写真を撮って、お土産を買う。でもコロナのあと、みんな考え始めたんです。高い航空券を払って、リスクを超えてまで現地に行く価値ってなんだろう、って」。
いま価値は、体験・学び・ストーリーへ移っています。「これはソーシャルメディアじゃ100%伝わらない。現地に行かなきゃ体験できないものを提供する。そこが観光の味噌なんです」。大阪観光局の役割は、あくまでハブ。紹介する側です。体験と学びを提供するのは、地域そのもの。「大阪は日本へのゲートウェイ。でも日本中の地域の魅力を全部は伝えきれない。だから、足を運んでもらう」。
04. 幸せのお裾分け
観光は、そこに住む人の役に立たなければ意味がない
田中さんが何度も口にしたのが、「幸せのお裾分け」という言葉でした。「観光が最終的に、地域に住む人の役に立たなければ意味がない。地元の人が幸せを感じられること。そこがいちばん大事なんです」。
頭にあるのは、京都の姿です。観光客が増えすぎて、地元の人がバスに乗れない。ゴミが散らかる。美しい町が、汚れていく。「それじゃ元も子もない」。だから旅行者へのマナー啓発——ツーリストシップ——が要る。大阪はまだオーバーツーリズムには至っていないけれど、京都を見ながら、未然に手を打っているところだといいます。大型のスーツケースを持たずに街を回れるよう、空港からホテルへ荷物を直送するサービスも、事業者と組んで進めています。
シビックプライドと、戻ってきたくなる町
それでも、観光には大きな力がある、と田中さんは信じています。「外から来た人がお金を落とせば、地域の事業者が儲かって、雇用が生まれる。それに——」。
外から来た人が「あなたの町は最高だ」と言ってくれる。それで、地元の人が自分の町を誇りに思えるようになる。シビックプライドですよ。
地域で育った子どもが、いつか世界に出て、最終的に「戻ってきたい」と思える町になる。その意味で、観光は極めて重要な産業なんだ、と。地元に戻って働きたい若い世代に届けたい、というローカル文庫の思いと、まっすぐ重なる言葉でした。
05. 商品が安すぎる
「高い」のではなく、値付けが安すぎる
日本の観光をめぐって、田中さんには持論があります。「日本の商品は高く売られているように見えて、実は安すぎるんですよ」。高く売れないと思い込んでいるから、最初から安く値付けしてしまう。そこを変えるべきだ、と。
「外国人からは、どんどんお金を取っていい。たとえばUSJの入場料を10万円にしたって、外国人は入る。ただ、そうすると日本人が入れなくなる」。その矛盾を解くのが、二重価格です。姫路城はすでに、外国人向けと日本人向けで価格を分けています。
「外国人に提供するときは、日本人向けとは違う手間がかかる。多言語メニューの用意、説明、ビーガン対応のメニュー開発。コストも手間もかかるんだから、値段を上げるのは正当なんです」。国は訪日外国人を、いまの約4000万人から2030年に6000万人へ増やそうとしている。その消費額は約15兆円——自動車産業と同じ規模です。「人が増えなくても、一人あたりの単価が上がればいい。数より、単価なんです」。
06. 失敗は、やめなければ
若さの最大の魅力は、チャレンジ精神
最後に、これから社会に出る若い世代へ。田中さんの言葉は、シンプルで、力がありました。「とにかく、いろいろなことにチャレンジしてほしい。トライアンドエラーという言葉が、僕は好きなんです」。
いまの若い人は、失敗しないやり方やノウハウを求めすぎている、と田中さんは感じています。「慎重になりすぎている。親や学校に『これはダメだ』と言われすぎて、動けなくなっているんじゃないか。若さの最大の魅力はチャレンジ精神なのに、そのエネルギーが感じられないのが、いちばん危ない」。
市場価値は、経験でできている
チャレンジは、市場価値を上げることでもある、と田中さんは続けます。「市場価値って、会社が採用のときに見る、その人の価値。昔は大学の名前だった。でも今は、大学は関係ない。経験が市場価値なんです」。いろいろなことを経験し、いろいろなことを知り、いろいろな問題に対処できる力。スポーツでも、文化活動でも、留学でも、世界旅行でもいい。視野を広げることを、いまのうちに。
「今しかできないんです。社会に入ったら、思い切ったことはなかなかできなくなる」。失敗を恐れるな、とも言います。大谷翔平だって、生まれた瞬間からホームランを打てたわけじゃない。数えきれない失敗の上に、いまがある。「あの大谷でも、十割は打てない。調子がよくても三割ちょっと。六割は打ててないんですよ」。
成功した人はみんな言います。やめなければ、失敗は失敗じゃない。経験にしかすぎないんだ、って。

