株式会社津村造園 代表 津村 朋弘

一番大好きな植物で何かしたい

代表津村 朋弘

公開 取材・文 ローカル文庫 編集部

この記事について

会社
株式会社津村造園
所在地
兵庫県
話を聞いた人
代表 津村 朋弘
公開日
2026.10.31
聞き手
ローカル文庫 編集部

今回お話を聞いたのは、淡路島で造園工事を営む株式会社津村造園の社長です。取材では、二代目として家業に戻った20代のこと、社長になったときに立てた計画、そしてティーツリーのエッセンシャルオイルの事業について聞きました。

「一番自分が大好きな植物で何かしたいと思ったんですよね。」

01 自然と、これが自分のしたいことになっていました

物心ついたときから手伝っていました

僕は二代目になります。 物心ついたときから、親父の造園の仕事を手伝ったり、アルバイトをしたりしていました。

だから、何をしたいというのは特になかったんです。 自然と、これが自分のしたいことになっていたかな、と思いますね。

造園の専門学校には行っていました。 でも、そこで勉強していたかと言われたら、まずしていないですよね。 十八、十九歳は遊びたい盛りですから。 いろんな遊びをしていました。

京都ではなく、神戸の花屋さんへ

そのあと、修行に行きました。 造園といったら、京都のイメージがあるじゃないですか。 最初はそっちの方に行こうかと思っていたんです。

ただ、ご縁があって、神戸の花屋さんの方に行くことになりました。 花屋さんにも、販売をしている部門などいろいろあります。 ちょうど淡路の花博が始まる前だったので、花の勉強もしようと思って、そういうところに修行に行きました。

修行は二年半ぐらいでしたね。 結構短いと思います。

社長は造園の専門学校を経て神戸の花屋さんで修行し、家業に戻ったと話した。

02 帰ってきたはいいけど、仕事がない時代が続きました

世界中のお金が一回止まる

家業に帰ってきて、いろいろやっていたら、ほどなくしてリーマンショックが来ました。 基本的に、世界中のお金が一回止まるわけですよ。

帰ってきたはいいけれど、仕事がない時代が続きました。 そういう20代でしたね。

僕らの世代は、学校を出るときも就職氷河期でした。 今とは逆でしょう。 同級生の中には、今もアルバイトをしている人がいます。 そういう時代に生まれているんです。

それでも、依頼の来る仕事はなんとかやりながら、続けてきました。

社長一年生を、小学一年生に例えました

三十五歳で、親父から代表を引き継いで社長になりました。 そのときに考えたことがあります。

小学校は6年間、中学校は3年間、高校はさらに3年間あるじゃないですか。 社長一年生を小学一年生に例えたんです。

最初の6年間で、今やっている造園という仕事を確実にこなせるようにする。 次の中学の3年間で、それをさらにブラッシュアップする。 そして残りの3年間で、新しいことをしよう、と。

社長に就任したときに、その12年でどうするかを考えて行動していました。

なぜ違うことをしようと思ったのか。 リーマンショックを経験しているからです。

一つの仕事だけだったら、これはまずいな、と。 そのときは何も決まっていませんでした。 でも、今まで培ってきた技術や知識を使えるようなもので、何か違う事業をしたいとは思っていたんです。

社長は、リーマンショックの経験から、造園とは別の事業を12年の計画の最後に置いたと話した。

03 一番自分が大好きな植物で、何かしたかったんです

樹形がかっこよかったんです

新しい事業を考えたとき、自分のこれまでの経験の中で、僕はやっぱり植物をよく触ってきたじゃないですか。 30年近く、何百種類という植物に関わってきました。

その中で、一番自分が大好きな植物で何かしたいと思ったんです。 それが、エッセンシャルオイルが取れるティーツリーでした。 オーストラリアの樹木です。

必ずしも、オイルを取ることだけが目的ではありませんでした。 ものすごく、その木がかっこよかったんですよ。 樹形がかっこよかった。 これが何かにならないかな、と思ったのが始まりです。

収益のための事業ではありません

だから、もう一つの事業は、収益が上がるとか、会社が生き残っていくためとか、そういう事業ではないんです。 自分が好きなことです。

収益のことを考えたら、もう大赤字です。 普通に考えたら、税理士さんにも止められます。

でも、五十歳が近くなってきて、残りの人生をこれまでと同じだけ生きられるかは分からない。 それだったら、本当に自分がやりたいことを突き詰めていく方がいいと思ったんです。 自分の好きなことなら、許せるじゃないですか。

好きでもない植物を、お金のために育てるのは嫌です。 そういう話は全部断っています。

ただ、好きなことだけでご飯を食べていけるかといったら、難しいんですよ。 安定した本業があって、その中で枝を作っていかないと、いきなりはなかなか難しい。 設備にもお金がかかりますからね。 だから今は、造園という本体をしっかりやりながら、ティーツリーの事業をやっています。

社長は、ティーツリーの事業は収益のためではなく、自分が好きなことだと話した。

04 話の中にしか、仕事ってないですよね

一度やってくれたお客さんが、もう一回

造園の方は、がちがちの日本庭園を作るというのは、まず基本ないです。 新築の家を建てた人の外回りですね。 それをデザインしたりしています。

どちらかというと、新規を確保するというより、一度やってくれたお客さんが、またもう一回やってくれる形です。 家づくりをして、最終的にお客さんと飯を食いに行ったりもします。

秘訣というのはありません。 お客さんが向いてきてくれているのだから、そのお客さんのために一所懸命にしよう、ということです。

それと、お客さんとはそれこそ趣味なんか、いろんな話をしますね。 契約しました、この通りにやります、終わりました、さようなら、ではない。信頼してもらえるからこそモチベーションも上がり、良いものができるんです。

「やっぱり話の中にしかその仕事ってないですよね。」

働く人は、淡路市内に限っています

ティーツリーの事業でアルバイトをしてくれる人の時給は、今もう千五百円にしています。 おそらく何年か後には全体的にそうなると思いますが、それを先にやっているんです。

自分の好きな事業を、僕の故郷で立ち上げました。 だから、ここで働く人は淡路市内の人に限定しています。 神戸などから来てもらう場合は、淡路市に住所を移してもらいます。 育ててくれた市に対しての、ささやかな想いですね。

働いてくれる人が、お金のことでしんどい思いをしないで、長く働ける場所ができたらいいと思っています。 採用も、今は間に合っています。

まずそこが大前提だと思うんです。 どれだけ魅力的な仕事でも、生活できなかったら、いい人はなかなか来ないと思うので。

社長は、アルバイトの時給を先に上げ、働く人を淡路市内に限っていると話した。

05 子どもの頃に見ていた風景を、残したいと思いました

段々畑の耕作放棄地が、目につくようになりました

僕がやっているのは淡路島の北東の方で、山がちなところなんです。 平らな土地がなくて、段々畑が多い。 そこにティーツリーを植えています。

やっていく中で、耕作放棄地が非常に目につくようになってきました。 僕らが植えているところも、もともと耕作放棄地です。 これは何とかしないといけないと思って、今はそっちのことも考えています。

昔はお米を作っていました。 でも、大きな平野で作るのと、小さな面積の段々畑とでは、効率が全然違うじゃないですか。 同じ金額ではできません。

昭和のころは、三世代で住んでいたので、おじいちゃんやおばあちゃんが何をしていたかを、子どもながらに見ていました。 核家族化が進んで、それがいい悪いは別として、故郷のおじいちゃんやおばあちゃんが何をしているのか、どんな財産があるのかも分からない。 いざ受け継いだときに、手放す人が多いんです。

僕らは昭和の一番最後の世代です。 昔、小さい子どもの頃に見ていた風景は、この年になってやはり残したいと思いました。

メイドインジャパンは、すごいんですよ

今、ティーツリーのオイルは香港にも出荷しています。 僕らのお父さんやおじいちゃん、先輩方のおかげで、今のメイドインジャパンってブランドができたんですよ。 日本の人が作るものには嘘がない、いいものを作る、というのが世界に浸透していると思います。

淡路島は、香りの島とも言われています。 お線香が有名です。 この事業を始めて、お線香屋さんも何社か見学に来てくれました。

社長は、香りの島と呼ばれる淡路島について話した。

「淡路島で作っている香りの原料がほんと少ないんですよ。」

06 しないよりかは、する方がいいです

香りの島に、本当になれるように

ワインのテロワールではないですが、その土地でできるものを上手に使って外に出していくのが、一番きれいかなと思います。 土地が狭いからこそ、付加価値の高いものを考えていけば、段々畑は逆に財産になっていくんじゃないかと思うんです。

エッセンシャルオイルは、ほぼ九十九パーセントが海外からのものです。 僕のオイルは、価格で言ったら3倍ぐらい高い。 自分たちが持続できる値段で出しているんですが、それが数か月で標準価格になるわけがないですよね。

だからこそ、ほんとうに香りの島になれるように、原料としてティーツリーを出していきたい。 僕がやっていることが、最終的に淡路島の地場産業になれるかどうか。 そこがチャレンジですね。

僕はティーツリーが大好きだからティーツリーしかしません。 でも、ローズマリーが好きですや、ラベンダーが好きっていう人がいて、そんな人たちが5人いれば5種類の香りができるじゃないですか。 それが淡路島から香りの原料としてのバリエーションとして増えていけば、面白いと思います。

伝え方は、まだ工夫のしどころです。 見学は無料にしていて、自社サイトで発信していると、遠い方だと長崎からも来てくれました。 ただ、文章を見るだけでは伝わらない。 どうやって見学者を増やすかは課題です。 確立はしていなくて、ずっとチャレンジしている状態です。

本気でやったら、応援してくれる人が出てきます

若い子たちは、今、夢がなくてもいいと思います。 でも、何かのきっかけで、これがしたいという想いができたとき。

「やっぱりしないよりかはする方がいいです。」

真面目に方向を決めて進むと、不思議と応援してくれる人が出てきます。 熱意が伝われば、一人じゃないんですよ。

もう一つ。 何かやるときには、挫折しそうな障害があります。 でもそれから逃げないでください。 困難になればなるほど、面白そうやな、乗り越えたろ、と。 そういうポジティブな考えでいてほしいと思います。 これが、僕が経験してきた中で言えることかな、と。

取材では、造園の家業を継いだ経緯と、ティーツリーの事業、若い人へのメッセージの話を聞きました。

取材: 島田大輝/ローカル文庫編集部

この会社に興味を持った方へ

株式会社津村造園のこの会社のサイトを見る

まだ知らない景色を、一緒に見に行こう。

あなたの会社のストーリーを、学生に届けませんか?

取材・掲載は無料、オンラインで約60分です。

LINEで取材を相談する

学生の方へ

活動について、LINEで話を聞いてみる。

LINEで話を聞いてみる