法人向け建築に一点集中。掛川の建設会社が描く「点を面に」と経営者育成

社長桑高 升也

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父の背中と「一国一城」の教え

静岡県掛川市。天竜川と大井川という二つの大きな川に挟まれたこの地に、株式会社桑高建設はある。工場や事務所、倉庫の新築や修繕といった法人向けの建築に力を注ぎながら、災害時の避難生活を支えるシェルターの開発にも取り組んでいる会社だ。

社長の桑高升也氏がこの業界を志した原点は、小学生のころに見た父親の姿だった。父親も建設の業界で働いていたという。

「父親がこの業界で、小学校何年かの時に父親のやっぱり姿を見て。こう男らしい仕事ということで、まあ将来的になんとなくこの業界かなっていう。父親の姿が自分の今現在までを決めたんじゃないのかなっていうね」

高校は建築ではなく機械科に進み、その後専門学校で2年間学んだ。卒業後は建築設計事務所に7年ほど勤め、やがて父親の会社に入る。しかしそこで、株を持つ親族の間で揉め事が起きた。「世間ではよくある話」と桑高氏は言うが、その渦中にいることが嫌になり、会社を辞める決断をした。

別の会社に就職するという選択肢もあったはずだ。それでも桑高氏が選んだのは、自ら会社を起こす道だった。その背景には、幼いころから父親に言われ続けてきた言葉があった。

「親父が小さい頃から、男なら一国一城の主っていう教育をやっぱり受けてきたもんだから。小さい頃からそういうことを擦り込まれてきたというか。年齢的に42になる年で会社を起こしたもんだから」

住宅をやめ、法人向けに経営資源を絞る

建築といっても、住宅、リフォーム、工場、倉庫など、その分野は幅広い。桑高建設は住宅や住宅のリフォームには手を出さず、工場や事務所、倉庫、そして修繕といった法人向けの仕事に経営資源を一点に絞っている。取引先は、会社近隣の法人を中心に30社近くにのぼるという。

実は過去に何度か、住宅部門を立ち上げようとしたことがある。しかし、うまくいかなかった。

「住宅ってこう好み、好き嫌いもあるし。まあ、僕自身がお客さんとの周波数を合わせることができなかった。法人関係はニーズってそういくつもないもんだから。もう儲かるか、楽になるか、効率になるかぐらいの意識しかないもんだから、比較的周波数を合わせやすいというか」

近隣では人口が減り、住宅の需要も減っている。住宅会社がリフォームに切り替えても、リフォームはリフォームで競争が激しい。そうした状況を見ると、法人向けに集中した選択は「そんなにずれてなかったのかな」と桑高氏は振り返る。

仕事のほとんどは紹介で生まれている。一度取引をしたお客さんの期待を裏切らないこと。そうして信用を得られれば、また別のお客さんを紹介してもらえる。桑高氏は、その積み重ねで今までやってこられたと語る。

避難生活のプライバシーを守るシェルター

桑高建設は建設業のかたわら、防災シェルターの開発にも取り組んでいる。きっかけは、東日本大震災や熊本地震といった大きな災害だった。避難した人たちのプライバシーを確保することは非常に難しく、心理的にも異常な事態のなかで性犯罪が起きることもある。会社として何か貢献できないか。それが事の始まりだったという。建設業とは別の収入源をつくりたいという思いもあった、と桑高氏は率直に明かす。

想定しているのは、災害直後の一時避難から、仮設住宅ができるまでの期間だ。仮設住宅ができるまでにはおそらく1カ月ほどかかる。その間を学校の体育館のような場所で大勢と過ごすのは大変だ。その期間をどうしのぐか、という発想から生まれた。

シェルターは2人で30分ほどかけて組み立てる。上から600キロの荷重に耐える頑丈さがあり、雪国で雪が積もっても耐えられるようなつくりだ。一方で、パッケージにすると重さは170キロほどになる。販売価格は税込みで132万円だ。

ただ、これまでに売れたのは1台。日本経済新聞の新製品を紹介する欄に掲載された記事を見た愛知の投資家から電話があり、住宅の建て替えの間に倉庫として使い、その後は別の場所に移設してまた倉庫として使いたいという依頼だった。

「例えばお腹が痛いときに、お腹を治してくれるものがあれば、すぐやっぱり買うじゃないですか。平時はやっぱりね、困ってないもんだから。だからその辺の難しさというか」

行政へのPRにも取り組み、昨年は横浜の展示会にも出展した。反響はあったものの、購入にはなかなか至らなかった。被災地に出向く電気やガスなどインフラ業者の拠点として使えないか、という話もあったという。今はシェルターとしてだけでなく、セカンドハウスや書斎、大人の秘密基地のような普段使いも考えている。そのためには、テント生地でできている側面の暑さ寒さへの対応が課題だ。

「本当に、どうなるかわからないものにちょっと手を出しちゃって」

そう笑いながらも、桑高氏はSNSでの発信にも挑戦しようとしている。時間がなく、ハードルも高いと感じているが、「ちょっと試みてみますね」と前向きに語った。

川を越えて、点を面に

今後の展望を尋ねると、桑高氏は自身の年齢に触れた。60代前半を迎え、働ける時間はそう多く残っていないという。そのうえで描いているのが、小さな会社をM&Aで迎え入れ、拠点を増やしていく構想だ。

「拡大っていうより、営業をもっと効率よくするのが。今、一拠点だもんだから点じゃないですか。それがもう一拠点、もう一拠点ってなると、面になっていくもんだから。そうなると知名度というか、営業もしやすい」

掛川市は天竜川と大井川に挟まれている。川を越えた先に拠点をつくれれば、と桑高氏は考えている。昔の感覚でいえば、川の向こうは「外国」のようなもの。自前で営業所をつくるのではなく既存の会社を迎えるのは、その土地に根付いた職人や関係があり、時間を稼げるからだという。社名は変えず、その会社の名前をそのまま使っていく。

売上を重視しているわけではないと前置きしつつ、1拠点で3億円ほど、それが10社集まれば30億円ほど、という規模感も語った。そして本体では、経営者を育成していきたいと考えている。

「僕も残り時間、そうあるわけじゃないし。だから、ここで最終的な花を咲かせたい。自分がやってきた証みたいなものを残していければな、というふうに」

現代版の丁稚奉公、経営者への道

この業界では、何年も採用を試みながら、なかなか人材を確保できない状況が続いているという。桑高建設も、ハローワークへの求人や知人からの紹介などに取り組んでいる。そのなかで、一つの選択肢として打ち出そうとしているのが「うちに来てくれれば経営者の道がありますよ」という見せ方だ。

桑高氏が引き合いに出したのは、かつての「丁稚奉公」だった。住み込みで働き、旦那さんに仕事を教わり、鍛えてもらう。優秀な人は、のれん分けで独立することもできた。ただ、今の時代に給料なしで仕事を教えるスタイルは考えにくい。

「給料を得ながら仕事を覚えて、なおかつその経営的なことも。本人が希望するなら。向き不向きもあるもんだから。答えはないもんだから、僕なりに、僕が経験してきたものを伝えて、それを起点にして自分で味付けしていくみたいな」

求める人物像について尋ねると、仕事の知識やスキルは入社後に身につければいいと桑高氏は言う。大切なのは、嘘をつかないこと、約束を守ること。そうした基本がきちんとできれば、ある程度のレベルまでは行けると考えている。

一方で、指導のあり方の難しさにも率直に触れた。かつての現場では、厳しい言葉が普通の会話の中で出てくることも珍しくなかった。今の時代でいえばパワハラと受け止められかねない言葉だ。桑高氏は、それが良いとは思わないとしたうえで、その根底には人格を否定する意図ではなく、「若者を成長させたいという思い」があったと語る。受け止め方には個人差があり、指導する側にも配慮が求められる時代になった。その変化に、桑高氏自身も向き合い続けている。

若者へ、お金にプラスして働きがいを

AIの発達によって仕事がなくなる、という話は若い世代にも広がっている。桑高氏は、建設の業界は絶対になくならないと考えており、そのことを社内の雑談のなかでも折に触れて話しているという。

「日常会話の中の一つの話題として、この業界というのは絶対に必要で。人が生きている以上、絶対必要だと」

最後に、若い世代へのメッセージを求めると、桑高氏は人の営みという視点から語り始めた。

「いくら世の中が発展しても、人の営みって何千年も変わらないじゃないですか。食べて寝てっていうのは変わらないと思うんですよ。便利であるんだけど、人としてやっぱりどうなのかっていうことの軸を、おのおのが掴んでもらって」

そのうえで、自分の才能や能力、適性を見極め、「これが得意なんだ」「これが天職なんだ」と思えるものを掴んでほしいと続けた。

「確かにお金がないと生活はできないんだけど、お金プラス、働きがいっていうものを掴んでもらいたいなって。その中で、まあ手前味噌なんだけど、我々の業界に若い人たちがどっと入ってきてくれることを切に願います」

住宅から撤退し、法人向けに集中した判断。売れないと笑いながらも手放さないシェルター。そして、次の世代の経営者を育てるという構想。桑高氏の語る一つひとつの選択には、自分がやってきた証を地域に残そうとする意志が通っていた。

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