今回お話を聞いたのは、京都の株式会社オー・エヌ・イーの代表、内藤克敏さん。電気設備工事の会社でありながら、ベビーカステラの事業も手がけています。取材では、料理人を目指した若いころのこと、独立とコロナ禍、若い人へのメッセージについて聞きました。
「そう何のためにっていうのがちょっと変わってしまってたっていうね。」
01 ご飯を作ったら、人を喜ばせられる
ご飯で人が喜ぶ笑顔を見て
僕は大学には行っていません。 高校を卒業して、調理師の専門学校に通いながら、電気工事のアルバイトをしていたんです。
ご飯を作ったら、人を喜ばせられるんだ。
そう思って、料理人になろうと決めたんです。
どうしても働きたかった店
嵐山にある料亭で働きたかった。日本でも有名なお店です。 高校を卒業したらすぐに働こうと思っていました。でも、調理師学校に一年だけでも通って、そこからでもいいかなと。
学校を卒業して、あらゆるコネを使って、有名料亭へと入社することができました。
ただ、一年も経たないうちに辞めてしまいました。
内藤さんは、料理人を目指した理由を、ご飯を作って、喜んでくれている笑顔を見ていたからだと話した。
02 僕が思い描いていたものとは違った
どこで切り替わったのか
元々は、料理を作って人を幸せに、笑顔にできる仕事だと思って、ずっと勉強していました。 でも、いつの頃からか、たぶん、僕はあの店に就職することが……。
どこで切り替わったのかは、自分でも分からないんです。
実際に行って、いろいろ勉強はさせてもらいました。 でも、僕が思い描いていたものとは違う。ここにいても、僕はできないと思ったんです。
何のために、というのが、ちょっと変わってしまっていた。
それで辞めて、元々アルバイトをしていた電気工事の会社に、バイトでもいいからと思って戻りました。 それが、若いときの最初の一歩です。
何の気なしに、大手へ
大学を卒業する人は、何の気なしに、ほとんどが大手に就職すると思うんです。 中小や小規模の事業者には、たぶん入らない。
取材者は、就職活動で大手企業を目的にした同世代が、入社後のギャップに苦しむ姿を見てきたと話した。
03 何十年と残るほうがいいなと思った
展示会の電気を設営する仕事
戻った電気工事の会社は、ビルや工場の電気工事もしていましたが、メインはイベントでした。みやこめっせやパルスプラザ、関東で言えばビッグサイトや幕張メッセ。展示会場やフェスの、仮設の電気を設営する仕事です。
土日は関係なく、撤収は日曜の夜なんてことも多かった。そのぶん、当時から給料は比較的良かったですね。 何より楽しかったんです。
電気工事なので、電気工事士の国家資格も取りました。 二十歳ぐらいから、電気工事の仕事をずっとやっていました。
三日で、何もなくなってしまう
でも、イベントや展示会は三日間開催したら撤去して、何もなくなってしまうんです。残らない。
普通の電気工事なら、建物が建って、電気工事がちゃんと何十年と残ります。 そっちのほうがいいかなと思いながら、会社の中でもそちらの部門に入ってやっていました。
その会社で、最後はナンバースリーまで行っていたかな。 ところが会社の調子が悪くなって、廃業しなければならないような状況になったんです。
僕のお客さんと、僕のチームの人間が四人ほどいました。 僕は抜けて独立するけど、一緒にやるか。 そう話したら、みんながついてきてくれた。僕と、あと三人か四人で独立して、何軒かのお客さんを引き継いだ。それが始まりです。
お金の責任は負いたくなかった
本当は、ナンバーツーでいたかったんです。 あまりお金の責任は負いたくない。現場以外のことは、いろいろありますよね。そこはなるべく避けて通りたかった。
現場のことは任せてくれたら、従業員の教育でもなんでもやります。 でも、会社のお金のことや銀行とのやり取りは、面倒だと思っていました。
会社が苦しかった時期にどう向き合ったのかを聞くと、内藤さんは「投げ出せない」と答えた。
04 やっぱりそこかなと思って
なんとかなるだろうと思いながら
投げ出せないんですよ。 従業員もいるし、従業員の家族もいるし、他の得意先もある。
なんとかなるだろうと思いながらやっていたけれど、しんどかったですね。
社長、このままどう考えているんですか
コロナのときは、イベントの仕事がほぼゼロになりました。オリンピックの受注もなくなりましたから。 すぐに復活するだろうと思っていたんです。でも、コロナがずいぶん長引いた。
そのとき、うちの従業員に言われました。 「社長、このままどう考えているんですか」と。
僕は、もう少し待ったら落ち着くだろうと言っていたんです。 でも、イベントをやっている他の電気業者がイカ焼きを始めたと聞いて、従業員から「社長も他のことを考えませんか」と。
ちょっと考えてみようかと思ったとき、経営者仲間に、ベビーカステラをやっている人がいたんです。声をかけて、教えてもらいました。 僕も元々調理師だったから、できるかなと。
人を笑顔にできるベビーカステラ。 やっぱり、そこかなと思って。
お店と、冷凍の卸し
今は、フランチャイズのお店の店頭で焼いてもらっています。それが一つ。 もう一つはセントラルキッチンで焼いて冷凍し、映画館や大手スーパー、学校などの学園祭関係などいろいろなところに卸しています。
安心安全で、材料にはこだわっています。国産のしっかりしたものを使っているんです。
内藤さんは、電気設備工事とベビーカステラの二つを軸に、会社を続けていると話した。
「やっぱりね電気工事なんかは直接エンドユーザーさんに喜んでもらえることあんまりないんですよ。」
05 やってみたらどうかな、と思う
目の前のお客さんが食べてくれる
電気工事は、職人も営業も、誰のためにやっているのかがよく見えないところがあります。 でも飲食は、店頭で売ったものを目の前のお客さんが食べて、美味しい、まずいと言ってくれる。
難しいけれど、やりがいがものすごくある。美味しいと言ってもらえると、頑張らないといけないなと思うんです。
ホームページに書いている「過去から未来へ」という言葉も、難しいことではありません。 ご先祖さんがいて、父や母、祖父母がいて、今ここにある。まずそれに感謝しながら、今までやってきたことを、電気工事とベビーカステラで次の世代にどう繋いでいくか。
自分だけ儲かれば終わり、ではない。会社は存続していくものです。 僕がいなくなったとしても、ずっと未来まで、楽しい会社になってほしいと思っています。
若い子が欲しいんです
これからは、イベントの電気工事でシェアを伸ばしていきたい。ベビーカステラは、いろんな会社とコラボしてOEMで作ったり、海外への進出をどうしていくか考えたりしています。
電気工事のほうは、若い子が欲しいんです。 通信制の高校に話をしに行ったり、ポリテクセンターに求人を出したりしています。
うちはずっと地域に根ざした会社です。地元のお寺や神社のこともしなければいけない。本当に地域密着だから、地域の人に来てもらいたい。
取り返しはつく
若い子には、後から後悔するぐらいなら、やってみたらどうかなと思います。 この年になって、あのときやっておけばよかったと思うぐらいならね。
「で取り返しつくやん。」
やりたいことがあるなら、そこに突き進むべきだと思います。それを、僕らは応援してあげたい。 ただ、自分がやりたいと言ったことには責任もある。それはセットです。 僕自身も、やろうと思ったら、すぐやりたいんです。
取材では、料理人を辞めた理由、独立、コロナ禍でベビーカステラを始めた経緯、若い人への言葉を聞きました。
取材: 島田大輝/ローカル文庫編集部
いちばん心に残ったのは、内藤さんが料理人を辞めた理由を「何のためにっていうのがちょっと変わってしまってた」と話した場面です。行きたかった店に入れたのに、自分が思い描いていたものとは違った。どこで切り替わったのかは分からない、という言い方に、きれいにまとまらない正直さを感じました。
コロナ禍でベビーカステラを始めたときの「やっぱりそこかなと思って」という言葉も印象に残っています。人を笑顔にしたいという最初の思いに、ベビーカステラで戻ってきたように見えました。
ただ、「やりたいことには責任もセット」という言葉は、まだ自分の中で消化しきれていません。何かを始めるとき、その責任まで引き受ける覚悟が自分にあるのか。これから考えていきたいです。
