株式会社マイギとは?
京都府舞鶴市に拠点を置き、1975年に創業した技術系の会社です。出発点は原子力発電所のメンテナンスで、現在も売上の約4分の3を原子力関連が占めています。残りは民間工場のメンテナンス、建設中のプラントへのアドバイザーや安全スタッフの派遣、国の研究機関向けの提案型の工事などです。
特徴的なのは、取引先のほとんどが舞鶴市外にあることです。東京の大手商社、兵庫県の化学メーカーの工場、茨城や群馬の国の研究機関、さらにはアメリカの電池工場まで、「都会の会社と同じ目線」で仕事をしてきました。社員は役員を含めて39名で、毎年1、2人の若手が入社しているといいます。
取材では、中学生の職場体験や大学での活動に力を入れる理由、海外に仕事が広がった経緯、「売上より利益」へ舵を切った経営方針、外国人社員との関わり、学生へのメッセージを語っていただきました。(写真は初めてマレーシアで組んだ計装チーム)

地元の子どもたちに「舞鶴にもこんな仕事がある」と伝える
Q 今回、取材を受けてくださった理由を教えてください。
A うちは、ここ三年ほど続けて中学生の職場体験を受け入れていて、今年は3校です。教育委員会としては「舞鶴にはこんな会社がある」という紹介にもなりますし、私たちにとっては将来の種まきでもあります。
都会に行かなくても、舞鶴でもこんな仕事ができるんだということを、もっと知ってもらいたいんです。大学からの依頼があれば出向いていますし、先日は公立大学で、4年生20名ほどを相手に就職面接のデモンストレーションをしてきました。今回の取材もそういう意味合いで受けました。
Q 採用に向けて、他にどのような取り組みをされていますか。
A 市の友好都市であるウズベキスタン、リシタン地区の日本語学校の卒業生を、毎年数名ポリテクカレッジに留学させる仕組みがあります。2年間学んだあと、市内で3年働けば留学費用を返還しなくていいという制度で、その一号、二号を採用しています。
あとは、京都の企業百選や健康経営優良法人、ソーシャル企業認証といった認証も取って、名刺に載せています。採用では有料の紹介会社は使わず、縁故の紹介かハローワーク経由に限っています。給与も含めて全部載せるので、中身を見てから来てくれたらいいという考えです。
仕事は「来る」。海外に広がった経緯
Q 海外の仕事は、どのようにして始まったのでしょうか。
A 15年ほど前から、一社依存ではダメだと思って、あちこちに種をまき始めたのがきっかけです。バブル崩壊の頃にかなりしんどい時期があったので。近くにまけばいいのに海外にもまいたもので、芽が出たのが海外だったり、茨城だったりしました。
最初はマレーシアです。東京の商社が化学メーカーの工場建設を受注したものの、建設業ではないので分からない、と。そこでレクチャーを始めたら、一度現場を見てほしいと言われて、見に行ったらそのままズルズルと沼にはまったんです。建設が終わったあとは、メーカー側から来年からも面倒を見てほしいと言われ、さらに3年間、そちらの一員として現地で指導しました。
Q 今はどのような海外の仕事がありますか。
A アメリカのカンザス州で、パナソニックエナジーが電池工場を作っているのですが、そこにうちの27歳の若手が技術スタッフとして行っています。これも、マレーシアの縁でお世話になっている商社さんの仕事です。
海外手当は海外の経済状況に合わせて支給しています。具体的な金額は開示しませんが、アメリカではペットボトル一本が千円、マクドナルドで三千円しますから、国内の手当ての数倍は必要です。60日で交代して、滞在できる上限の180日いっぱいまで行くと、手当だけでちょっとした金額になります。
「売上は求めない」経営方針
Q 今の経営方針について教えてください。
A 人は必ず死ぬし、会社は変わっていく。誰かに依存して成り立つ事業はダメだと思っています。私も含めて、誰が亡くなっても会社が残る形にするのが今一番のテーマです。
売上は、ピーク時の6割ほどに減っていますし、人も、ピーク時の60人台後半から39名まで減りました。でも2026年9月期は、決算の締めがまだですが、過去最高の純利益になる見込みです。無理に仕事は取らず、利益ありきで考える。売上ではなく、いくら残るかを重点に置くようにしたのが大きいです。利益が確保できれば、従業員の待遇も改善できます。
Q 会社を守るために、具体的にどんな備えをされていますか。
A 「俺が死んだら」というファイルを一つ作っています。社長が突然死んだらまず何をするか、誰が指揮を取るか、経理の責任者は誰か。緊急時の代理を二人指名してあります。
大地震が来たとして、会社を維持するのに本当に必要なものは何か、と最小限に絞って考え直しています。そうすると「これは要らなかったな」というものがたくさん出てきます。
外国人社員とともに働く
Q 外国人の社員さんとは、どのように関わっていますか。
A 最初に採用したウズベキスタンの子の結婚式には、私もスピーチをしにウズベキスタンまで行きました。その後、彼は奥さんを連れて舞鶴に来て、子どもが生まれました。お母さんを呼びたいと入管に申請したら却下されたと相談に来たので、私が身元を引き受ける形で出したところ、すぐに通りました。
就業規則もウズベキスタン語に翻訳していて、厚生労働省の補助金を取りに行っているところです。もう一人は、アメリカに行きたいと言っているので、まず3、4年は勉強してからだと話しています。本人が有給休暇を使い、自費で免許合宿に参加し、日本語による学科試験も一発合格して驚きました。
学生へのメッセージ
Q 最後に、学生や若い人たちへのメッセージをお願いします。
A 中学生によく話すのですが、まず「あなたがここにいることは奇跡だ」ということ。自分のおじいちゃんのお母さんの名前が言える子はほぼいませんが、何代も前からつながってきて、やっと君がそこにいる。だから命は大切に生きなさい、と。
もう一つは、「今の自分の時間は二度と帰ってこない」ということです。三年生になったら頑張る、夏休みが終わったら頑張る、と言うけれど、今すぐ本気を出さないともったいない。そして、二十歳から六十五歳まで、起きている時間の三分の一は働くことになります。仕事がつまらないと、人生の三分の一がつまらない。 楽しいと思える仕事に、自分から持っていってほしい。楽しんだもん勝ちだよ、と言って締めています。
取材担当:島田の感想
舞鶴という地域にいながら、原子力から海外のプラントまで「都会と同じ目線」で仕事をされてきたという話に、地方の会社のイメージが大きく変わりました。月給とは別に海外手当があるなど待遇面も驚きでしたが、それ以上に、外国人社員のご家族の呼び寄せまで引き受けるような人柄が印象的でした。「売上より、いくら残るか」という経営の考え方も、学生にとって新鮮な視点だと思います。私が取材してきた100社以上の中でも、特に心に残るお話でした。
