生まれたときから「継ぐもの」だった長男
京都府北部の丹後地域で、家具の製造と内装仕上げを手がける株式会社溝川。中堅ゼネコンや地元の工務店、東京や大阪など関西方面の建設業者の下請けとして、量産品ではなく一つひとつの仕事に向き合ってきた会社だ。現在は創業者が亡くなり、代表の高杉鉄男氏と一つ年下の弟の兄弟二人で事業を継いでいる。
高杉氏は昭和37年生まれの長男。戦争が終わって15、16年が経った高度経済成長の時代で、親戚が集まるたびに、子どもたちは「お父さんがした家業は継ぐもんだ」と言われて育った。
「継ぎなさい、継ぎなさいということで、進路は決められていたみたいな。宿命というか、そうあるべきだって疑ってなかった」
丹後や天橋立のあたり、日本海側の地域では、長男が家業を継ぐのは当たり前のことだと考えられていたという。高杉氏自身も、その道を疑うことはなかった。
代表に就いた経緯を尋ねても「そろそろだなということですね。なんとなく」と飾らない。父から改まって何かを言い残されたことはないというが、食事をしながら、お酒を飲みながら聞いた言葉が、今も心に残っている。
「今思えば、自分は運がいいということ。どんな時でも、今がチャンスだと」
どんなときも前向きに捉える。振り返ってみると、それが父から受け取った一番大きなものだったと高杉氏は話す。

大阪で他人の飯を食べた3年間
家業を継ぐことは決まっていた。それでも、ことわざにあるように「他人の飯を食ってこい」という考えから、高杉氏は地元の高校を卒業した後、大阪の大学へ進んだ。世間を知るための時間だったという。
卒業後も、最終的には地元に戻って家業に入るつもりで、大阪市内にある関連業種の内装仕上げの会社に就職した。そこで働いたのは3年ほど。
「都会での仕事って、こんな厳しいのかっていう経験をさせてもらいました」
上司からは「この給料はどこから出てる?お客様からいただいている給料だ」「世間はそんなに甘くない。君は家業を継ぐのだろうけど、そんな気持ちではダメだ」と厳しく言われた。高杉氏は、どうせ辞めていく人間だと分かっていたからこそ、将来その苦しい経験が役に立つだろうという上司の思いがあって、特別に厳しく仕込まれたのだと受け止めている。
その後、高杉氏は地元の丹後に戻り、家業に入った。都会の現場で叩き込まれた「仕事の厳しさ」は、職人たちとともにものづくりを続ける今の姿勢の土台にもなっているのだろう。
「根深ければ枝繫る」見えないところに本質がある
溝川のものづくりに込める思いを尋ねると、高杉氏は画面越しに一枚の書を見せてくれた。「繁枝深根」。
「50年、100年経った木を使うんだけど、みんな枝ぶりばっかりを評価するよね。だけど、それを支えている根っこがなければ、栄養分は吸い取れないよね」
人は上だけを見て、立派な枝だと評価する。けれど人生も企業も社会も、一番大切なところは見えないところにある。高杉氏はそう語る。出来上がったものの表面や外観ではなく、中身。そして、ものづくりにどういう気持ちで携わっているかという、心の部分だ。
「それが製品に魂として映るというか。道具も、それから木材も、それに応えてくれるんじゃないかなというつもりでおります」
見えないところの仕事は、ときに思わぬ形で表に出る。各地で水害が起き、家財を処分した後に修理を依頼されることがある。家屋を解体したとき、初めてその作り手の心が見えてくるのだという。床下を見れば、どんな仕事をしていたかが分かってしまう。だからこそ、見えていないところほどしっかりしようと思える。
学生で言えば、テストの100点だけを評価するのではなく、家でどれだけ勉強してきたかというプロセスのほうが大事なのではないか。高杉氏の言葉は、ものづくりの枠を超えて響く。
ものづくりは刀鍛冶のような神聖な仕事
高杉氏は、木という素材そのものにも深い敬意を抱いている。五重塔が何百年も倒れずにいるのはなぜか。古代の人は土台が沈む分まで計算して建てていた。木材には表と裏があり、板にも板目や柾目がある。知れば知るほど、自然の摂理にかなったように木材を扱わなければいけないと分かってくる。
木を伐るのにも時期がある。一年中なんでも手に入る時代だが、本来は年に一度しか収穫できないものも多い。地球の資源を使わせてもらっているのだから、大事に使わなければいけない。高杉氏は「もったいない」という日本語を例に、その思いを語った。
「ものを作るっていうのは、日本刀を作る刀鍛冶のような神聖な仕事なんだ。本来なら白装束に着替えて向き合わなきゃいけない」
コンピューターでキーボードを叩いてプログラムを組む仕事も、いずれは機械に置き換わるかもしれない。だからこそ、手でものを作る仕事の尊さを改めて感じるのだという。オープンファクトリーなどの機会に、さまざまな業種の人の話を聞くことも、高杉氏にとって学びになっている。
会社の今後については、「いつの時代でも必要とされる会社」であり続けたいと話す。木造建築が減り、畳の部屋や障子がない家が増え、3Dで家が建つような時代にもなった。経済環境や住宅環境の変化に、臨機応変に対応できる柔軟な会社でいたいという。
「手とか足とかはロボットがやるようになる。考えることはAIがやる。だけど私たちは、やっぱり五感に届くものを作りたいですね」
商品の手触り、木の香り、見た目。数値では表せないものを、使う人が心のどこかで感じてくれるように。そして、小さな会社だからこそ「こんなことができるのか」と言われるようなものに挑戦し続けたい。それが高杉氏の思い描く溝川の姿だ。

一から仕上げまで、自分の手でやりきる職場
現在の溝川は、全体で11名ほど。そのうち職人は5名ほどで、ベテランから見習いまでいる。業界全体の人手不足もあり、海外からの技能実習生にも応援に来てもらっている。年齢は上が60歳ぐらい、下は20歳ぐらいとさまざまだ。
仕事にデジタル化されたマニュアルのようなものはなく、量産品もほとんど作らない。前回はこれで失敗したから今回はやり方を変えてみよう、と図面を見ながら考える。単純な作業ではないのだ。
職人の多くは転職組だ。大工や建具屋を経験してきた人、人間関係につまずいた人、前の仕事がなくなってしまった人。共通しているのは、とにかくものづくりがしたいという気持ちだという。
「コミュニケーションを取るのも得意じゃない。営業にも行きたくない。もうただひたすらものづくりに没頭したいと。そういう人たちです」
木製の建具の需要がなくなっていくなかで、溝川はまだ建具も家具も作り続けている。流れ作業でベルトコンベヤーの前に立ち、決められた数をこなすのではなく、一から仕上げまですべて自分でやらせてもらえる。そこに惹かれて入ってくる人がいる。
そして職人の仕事は、作った人がいなくなった後も残る。「溝川の誰々が作ったもの。お父さんが買った、おじいさんが買ったときのものが、まだ現役で使われていますよ」と言ってもらえること。それが職人の誇りだと高杉氏は語る。

若者へ、ものづくりはかっこいいぞ
丹後は山があり、海が近く、食べ物がおいしい。100歳以上の長寿の方も多く、昔から丹後ちりめんなどの和装産業が盛んな土地だ。雪深い冬もあり、季節をいつも身近に感じられる。スターバックスはないけれど、昔ながらの喫茶店はある。
「昔からの生活が息づいてる。日本の原風景がまだありますよ」
移住してくる人は、きれいな海と自然に惹かれてやってくる。雪がよく降る冬も含めて、そこがいいという人もいる。一方で、地元の若者は地域を出て行って、なかなか帰ってこない。事業所は人手不足なのに、働くところがないと思われているのかもしれない。あるいは、ITのようなオフィスでの仕事がしたいと思っているのかもしれない、と高杉氏は話す。
若い人たちが仕事を選ぶとき、まず休日や賃金、残業の有無を見ることも、高杉氏は理解している。そのうえで、条件だけでは伝わらない仕事の中身や、ものづくりに向き合う心を知ってほしいという思いがある。今働いている人たちの多くは丹後の出身だ。地域で育った人が、地域で自分の手を動かし、残るものを作っている。
最後に、若い世代へのメッセージをお願いすると、高杉氏は少し考えてからこう語った。
「すべて作ったものには魂が宿りますので、ものづくりってかっこいいぞ。一流の職人は愛想もせんし、仏頂面だけど、奥深いよ」
根が深ければ、枝は繁る。表からは見えないところにこそ本質があるという高杉氏の言葉は、ものづくりの世界だけでなく、これから自分の道を探す若い人たちにとっても、大切なヒントになるはずだ。


