戦後から続く、京都・宇治の暮らしを支える会社
京都府宇治市。京都駅や大学の集まる街から一時間ほど離れたこの土地で、てくのハウス株式会社は地域の暮らしをまるごと支える会社として営みを続けている。会社の歴史は古く、戦後まもない昭和二十年代にまでさかのぼる。母方の祖父が戦地から帰国後に電気業界に身を置いたのが始まりだ。代表取締役の牧野伸哉さんは、その流れを受け継ぐ二代目だ。
「祖父の電気店に銀行員として出入りしていた父が脱サラをして1976年に結婚と同時に新しく立ち上げたのが今の会社ですね」と牧野さんは語る。現在で50期を数える同社は、創業当初は一軒の電気店として歩みを始めた。しかし時代の流れとともに、大型量販店やインターネットのECサイトが普及し、地域の家電販売店で買い物をする客は少しずつ減っていった。
そこで同社は、暮らしに寄り添う形で事業を広げていく。リフォーム事業、高齢者向けの福祉用品・介護用品の取り扱い、さらにここ数年ではカーテンクリーニングや、人が集まれるカフェの運営まで手がけるようになった。ひとつの店から、地域の生活そのものを支える存在へ。てくのハウスは静かに、しかし着実にその領域を深めてきた。
サラリーマンから二代目へ。生き生きと働く父の背中
牧野さんは、はじめから家業を継ぐと決めていたわけではなかった。一時期は関東の大企業に勤め、「まさか自分が会社を継ぐことなど考えていなかった」という。転機が訪れたのは、二十七、八歳の頃だった。
当時、父親は六十歳ほど。勤め先で同じ年頃の管理職の上司が、大きな組織の中で悩み、毎日仕事に追われている様子を目にしていた。一方で、父は違った。
「うちの父は元気に、生き生きと、楽しそうに生きていた。自分もこっちの方が将来合うかなと思って、そこでサラリーマンを辞める決意をして帰ってきたんです」
もっとも、従業員として働くことと、トップに立つことは大きく違った。「従業員でいるうちは、先輩の言うことを、指示の通りやっていればよかった。でも、いざ自分が社長になると、社員・取り引き業者・銀行さんなど全員がこっちを見てくるんです」。当時は自分にも自信がなく、若さもあった。年上の社員がたくさんいる状況で、周囲の信頼を積み重ねていく難しさは、ひとしおだったと振り返る。現在は三十五名ほどの組織となり、社長がいなくても仕事が動く体制が育ってきたが、それでも不安なときには意見を求められ、そこに責任が生まれる。その重みを引き受けながら、牧野さんは経営者としての足場を固めてきた。
「近江商人の三方よし」に心をうたれた、変えられない理念
てくのハウスには、時代が変わっても曲げない核がある。それは「人と心を通わす思いやり」だ。企業理念「五方良し」(①お客さま・②スタッフ・③取り引き業者・④地域社会・⑤心)である。牧野さんは、近江商人の「三方よし」からひらめいた考え方だと説明する。
「仕事をしていると、このちょっとしたミスがバレたら嫌だな、隠したいな、という思いを持つ場面は今でもあります。でも、目をつぶってこの状態で仕事を終わらせても誰にも気づかれないけれど・・・と分かっている自分がいる。そこがどうしてもうまく消化できないんです」。自分の心に嫌なものを残したまま働くことを、牧野さんは良しとしない。
そうした思いを文字にしていく中で生まれたのが「五方良し」であり、企業スローガンの「この街の母屋のような存在でありたい」だという。
牧野さんは、トクリュウ型の犯罪に手を染めてしまう若者の話を引き合いに出しながら、こう続ける。優秀な人であっても、その力を「人の幸せや喜びのためになるか」「人をだますために使うか」で使うのか。その判断をするのは、結局は自分の心しかない。
「私自身は、そういう心が幸せになる組織作りをしたい。ありがたいことに、今うちの社員たちは同じ方向を向いてくれている人が、めちゃくちゃ増えてきているんです」
この理念を三十五名の社員に浸透させるのは、決して社長一人の力では難しい。牧野さんが取るのは、じっくり話し込める信頼できるメンバーを核に、相談しやすい小集団のチームを築いていく方法だ。「私が本気で語れるのは、せいぜい五人くらい。でもそのトップ五人が同じことを言っていれば、次の階層、二十代後半、二十代前半の世代にも響いて、つながっていく」。理念を壁に貼るだけでは伝わらない。人から人へと丁寧に手渡していくことで、同社の価値観は根を張ってきた。
離職率ほぼゼロを支える、ミスマッチをなくす採用
てくのハウスの採用には、他社にはない徹底したこだわりがある。入社を希望する人には、必ず事前にアルバイトを経験してもらい、それを経なければ面接も内定も行わないというのだ。
「他のスタッフの動きを見てもらって、本当に会社が掲げる考え方に共感した人しか面接しない。ミスマッチをなくすのが面接だと思っているので、学生さんにも会社を選んでもらわないといけないんです」。手間はかかる。それでも、この仕組みが同社の大きな強みを生み出している。
「めんどくさいけれど、離職率がほぼゼロなんです」と牧野さんは言う。ここ八年間、離職者は出ていない。社員のほとんどは新卒で、てくのハウスの理念に共感できる社員をそだてている。転職が当たり前となり、新卒の三人に一人が数年で職場を去るとも言われる時代にあって、この定着率は際立っている。
採用にあたって、学歴は一切問わない。現在最も若い社員は十六歳。中卒、高校中退の経歴を持つ人もいる。求めるのは器用さではなく、人柄だ。「不器用でもいい。おじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子みたいに、家族の中で愛されて育ってきて、困っている人がいたら助けたいと思える。そういうキャラクターの人が多いですね」。未経験でももちろん歓迎する。採用人数は年に一人ほど。急に大勢を迎えても育てるキャパシティが追いつかないため、数を追うより、確実に「ファミリー」の一員になってくれる人を大切にしている。
大きくならない、深くなる。地域密着を極める未来
多くの企業が多店舗展開やフランチャイズで事業を拡大していく中で、牧野さんの描く未来はそれとは正反対だ。
「めちゃくちゃ大きくなりたいとは思っていないんです。この宇治で、ひっそり隠れて、悠々自適に仕事をしていきたい。エリアはもっと絞りたくて、だけどそこでできる内容をもっと深めたい」
目指すのは、宇治に住んでててくのハウスとやり取りをしていれば、食のことから医療、生活、介護まで、衣食住のすべてを任せられる——そんな存在だ。家電販売から始まり、リフォーム、福祉用品、クリーニングへと、同じエリアで提供できる領域を広げてきた延長線上に、この構想がある。最近では家族葬の葬儀場の紹介や、建物の売買、遺産相続の相談まで受けられるようになってきた。
ただし、そのすべてを自社で抱え込むつもりはない。「自社ではできないので、私の思いに共感してくれる協力会社さんのネットワークを広げたい」。大手が何もかも自社の看板で染めていくのとは対照的に、牧野さんが作りたいのは、お客様の困りごとを地域みんなで助け合えるコミュニティだ。「今後10年、20年経っても変えないのは、地域密着をひたすら徹底的にすること。それこそが、本当の意味で家族になっていくと思うんです」。完成形はまだ先にある。むしろ「完成を迎えることはない」と牧野さんは言うが、その現在地には確かな手応えがにじむ。
会社を「知ってもらう」ための挑戦
現在、採用面での唯一の課題は、この会社の魅力をどう届けるかにある。京都駅や大学から離れた立地は、合同企業説明会でブースに人が来ても、会社見学の段階で足を止めさせてしまう。「見学に来てくれたら、ほぼ面接させてくださいとなる(笑)。うちの課題は、人に会社を見に来てもらうところまでなんです」。そこで同社は、遠方の学生や高校生に向けて、会社見学を疑似体験できるRPG風のゲームをビジネスパートナーと共同開発した。地方にいながら「どんな会社か一度遊びながら知ってみよう」と思ってもらう——そんな新しい入り口を、牧野さんは模索し続けている。
若者へ、まず一歩踏み出してみてほしい
やりたいことはあっても、リスクを恐れて踏み出せない。そんな若者に向けて、牧野さんの言葉は温かく、そして力強い。
「もっと自信を持ったらいいのになって思いますよね。若いうちに挑戦するのはすごくいいことだし、若いからこそ失敗しても、また新しいことができる。若いうちはどんどん失敗したらいい」
牧野さんは、日本社会に漂う空気感に警鐘を鳴らす。競争を避け、みなが臆病になって守りに入る。SNSなどで勝ち組の人だけが目立つから、なおさら自分を劣った存在に感じてしまう。「でも、ポンと社会に一歩踏み出してみようよ、と伝えたい」。一歩動けば、周りがいいことは伸ばしてくれるし、間違っていれば指摘して、こうすれば成功するとアドバイスもしてくれる。その最初の一歩によって、人生観が変わっていくのだと。
仕事にも恋愛にも臆病になり、アルバイトすらしたことのないまま大学生活を終えようとする学生もいる。牧野さん自身、学生時代には部活やサークルでさまざまな失敗を重ねてきた。世の中がそれを多めに見過ごしてくれた時代を知るからこそ、今の若者に伝えたいのだ。失敗を恐れず、まずは動いてみること。その一歩の先にこそ、豊かな人生が広がっているのだと。
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