株式会社米子高島屋 代表取締役社長 森 紳二郎

「身の丈に合った百貨店」で、街ごと盛り上げる。米子高島屋・森社長の地域経営

代表取締役社長森 紳二郎

公開 取材・文 ローカル文庫 編集部

この記事について

会社
株式会社米子高島屋
所在地
鳥取県
話を聞いた人
代表取締役社長 森 紳二郎
公開日
2026.10.23
聞き手
ローカル文庫 編集部

テニスに明け暮れた学生時代、連休制度に惹かれて高島屋へ

鳥取県米子市の中心に立つ米子高島屋。地方百貨店の閉店が相次ぐなか、百貨店の再建だけでなく、商店街の活性化や地域ブランドの育成、さらには街づくりにまで取り組んでいる。その舵を取るのが、代表取締役社長の森さんである。

「百貨店の中にすべてが揃わなくても、街全体で揃えばいい」。

そんな発想で地域の未来を描く森さんだが、そのキャリアは、意外にも百貨店への憧れから始まったわけではなかった。

学生時代はテニスに明け暮れ、関西ランキングに入るほどの実力を持っていた。テニスの道を目指したいという気持ちもあったが、自分の実力を冷静に見つめ、就職する道を選んだ。

「中途半端な強さではもう無理やと思ったんで、働こうという形で働き出した。高島屋という企業に、その当時は別に愛着があったわけでも全くなく」

入社の決め手は、当時としては珍しかった充実した待遇だった。年に二回の一週間連休に週休二日、手厚い福利厚生。親戚が勤めていた縁もあり、高島屋に入社する。決して強い志望動機があったわけではない。それでも、働き始めてからは仕事に夢中になった。若い頃はがむしゃらに、そして何より楽しく働いた。さまざまな経験を積み、社内では順調に昇格したという。

振り返れば、森さんのキャリアをつくってきたのは、最初から明確な目標を持つことよりも、目の前の仕事に向き合い、行動を重ねてきたことだった。

ファイテンと阪神優勝セール——スポーツバイヤーの原点

そんな森さんにとって、大きな転機となったのが、好きだったスポーツに関わる仕事だった。かねてから希望していたスポーツ部門のバイヤーを任され、自分で仕入れ先や商品を決められる立場になった。そこで最初に目をつけたのが、京都の企業「ファイテン」だった。当時、サッカー選手の間で注目され始めていたネックレスに可能性を感じ、いち早く取引を始めた。

「全国にどこにもない中で、私が最初から目をつけて大量に仕入れさせてもらって、京都の高島屋だけには在庫があるという状態をつくったんです」

商品は大きな人気を集めた。自分で可能性を見つけ、仕入れを決断したことが結果につながった経験だった。もう一つ、森さんが思い出深い出来事として挙げるのが、阪神タイガースの優勝セールだ。もともと阪神ファンだった森さんは、タイガースのグッズを売り場に取り揃えていた。すると18年ぶりに阪神が優勝。社内での実施にはハードルもあったが、ライセンスを取得し、京都高島屋の全館を挙げた優勝セールを実現した。

「あれはすごく儲けさせていただいた」

そう笑いながら振り返る森さん。自ら面白いと思うものに目をつけ、まずやってみる。そして結果につなげる。後の地方百貨店の再建やまちづくりにも通じる、森さんの行動力が表れた経験だった。

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洛西から米子へ。地方百貨店の店長として地域と出会う

さまざまな実績が評価され、森さんは京都・洛西高島屋の店長を任される。約七千平方メートルの三階建て。食料品を中心に扱う地域密着型の郊外店で、お客様の多くが顔見知りという環境だった。それまで大きな百貨店で経験を積んできた森さんにとって、地域との関わり方を考えるきっかけとなった。

そんな洛西高島屋に、一つの危機が訪れる。

車で十分ほどの場所に、駅直結の大型イオンモールが開業することになったのだ。そのままでは地域のお客様が流れ、店の経営にも大きな影響が出かねない。そこで森さんが考えたのは、百貨店だけで競争することではなく、地域全体で力を合わせることだった。

「このままやったら閉店になるでと。それで、地域で団結しようということで、商店街、百貨店、農家、ケーブルテレビ、行政、大学……みんなで何かやりましょうと始めたんです」

こうして生まれたのが、月一回開催する「洛西マルシェ」だった。地域の事業者や住民が集まり、食べ物や手作り作品などを販売する。マスコットキャラクター「たけにょん」もつくり、揃いのTシャツでマラソン大会に参加するなど、さまざまな活動を展開した。

大型商業施設の開業という危機をきっかけに、地域の人々がつながり、一緒にまちを盛り上げていく。結果として、イオンモールが出店した後も、地域は存続することができた。この経験を通じて森さんが実感したのは、百貨店の価値は店内の商品だけで決まるものではないということだった。地域の人とつながり、その土地の魅力を一緒につくっていく。そんな百貨店の新たな役割を見いだした。

そして、その経験が次の挑戦へとつながる。

約十一年前、森さんのもとに米子高島屋の社長就任の打診が届いた。

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「身の丈に合った百貨店」へ。黒字化とコロナの試練

入店客数は洛西高島屋の約三分の一。開店時に入口でお客様をお迎えしていても、朝は誰も入ってこない日さえあったという。長く赤字が続いていた店舗を、今後も存続させることができるのか。森さんには、その可能性を見極める役割も求められていた。それでも数か月かけて店内を見て回った森さんは、一つの可能性を感じた。

「やり方によっては、なんとかなるやろな」

課題は、百貨店としての規模が地域の実情に合っていないことだった。当時は本館と東館を合わせて広大な売り場面積があり、ブランドの撤退によって生まれた空きスペースを、新しいテナントで埋め続ける状態になっていた。

そこで森さんは、思い切って百貨店の規模を縮小する決断をする。東館を米子市へ無償譲渡し、百貨店としての売り場を本館に集約。魅力あるブランドを一つの建物に集め、地域の需要に合った店舗へと生まれ変わらせた。同時に、営業時間を一時間短縮。それまでの二交代制を見直し、従業員同士がコミュニケーションを取りやすい勤務体制に変えた。その結果、赴任二年目には黒字化を実現した。

「本館だけで、身の丈に合った活動をしていくと決めたんです」

しかし、その後に待ち受けていたのが新型コロナウイルスの感染拡大だった。営業自粛を余儀なくされ、全国の百貨店が経営の見直しを迫られた。それまでグループ全体の力によって支えられてきた地方店舗も、それぞれの店舗単位で採算性を問われるようになった。

全国で地方百貨店が次々と閉店していく。

森さんにとっても、最も苦しい時期だったという。現在も経営の厳しさは残る。森さんは、その現実を隠すことなく話してくれた。

「近いうちに、もう私がいなくても会社が回っていくような状態にしたい」

目指しているのは、一時的な黒字化ではない。地域に必要とされる百貨店を、次の世代にも残していくことだ。

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大山ブランド会、地ビールフェスタ——商店街まで巻き込む

森さんが米子で挑戦を続ける理由には、地域の人々との出会いも大きく関わっている。赴任して間もない頃から、地元の人たちがさまざまな人を紹介してくれたという。

「米子はよそ者を受け入れる土壌があるんです。まず受け入れて、それからその人の態度や行動を見て、認めてもらえる」

そのつながりが、新しい活動を生み出す力になった。

今では森さん自身が地域の人をつなぐ立場にいる。東京や大阪から米子を訪れた人がいれば、地域の人を紹介し、仲間になってもらう。かつて自分がしてもらったことを、今度は自分が返しているのだ。

そうした人とのつながりから生まれた取り組みの一つが、「大山ブランド会」である。

その原点は、洛西高島屋時代に取り組んだ「大原野ブランド」の育成だった。地元の農家がつくる農産物には、土地の自然や歴史という価値がある。しかし、生産者自身がその価値を十分に認識できていないこともある。そこで森さんは、地域の魅力をブランドとして打ち出し、商品の価値を高める取り組みを進めた。

その経験を米子でも生かした。中国地方最高峰の大山。その豊かな水や自然に育まれた農産物や加工品を、一つの地域ブランドとして全国に届けようと「大山ブランド会」を立ち上げた。取材時点で会員は約百三十社。高島屋の販売網を活用し、お中元やお歳暮、オンライン販売、ふるさと納税、日本橋や横浜などでの食品催事も展開してきた。

そして、もう一つの代表的な活動が「地ビールフェスタin米子」だ。かつて多くの人でにぎわった米子の歓楽街・朝日町。そのにぎわいを取り戻すため、地域の人々の声を聞きながら、昔から親しまれていた土曜夜市をプレミアムフライデーの発想に組み合わせた。月末の金曜日に、地元の飲食店や事業者が集まるイベントを開催する。2018年に始まった取り組みは、約八年にわたり続き、多い時には三千人が訪れる地域の恒例行事になった。

「毎月、規則性を持たせると宣伝がいらない。年間のポスター一枚だけ。月末の金曜日は地ビールフェスタというのが、もう地域に定着しているんです」

今では、地域住民だけでなく経営者たちも集まる社交の場だ。森さんの街づくりは、イベントだけにとどまらない。代表理事を務める角盤町商店街振興組合では、老朽化したアーケードを撤去するのではなく、改修する道を選んだ。多彩な色や模様を表現できるLED照明を設置し、屋根には太陽光パネルを導入。災害時にも避難場所の提供、72時間の電源を確保できるようにし、米子市との防災協定も結んだ。

にぎわいを生むだけでなく、地域の人が安心して暮らせるまちをつくっていく。こうした取り組みの根底にあるのが、森さんの考える「百貨店」の新しい姿だった。

「昔は一つの館で百貨が揃うから百貨店やった。でも今は、足りないものを半径一キロメートルに散りばめて、百貨が揃うまちを目指しているんです」

かつては一つの建物に、暮らしに必要なあらゆるものを集めることが百貨店の役割だった。しかし今は、百貨店だけですべてを揃える必要はない。百貨店の周囲に、飲食店や商店、娯楽施設、生活に必要な機能が揃っていればいい。実際に、かつての東館は現在、飲食や温浴、スポーツジム、マンガミユージアム、宿泊などの機能を備える施設として活用されている。

百貨店を小さくする一方で、まち全体の魅力を大きくしていく。

森さんが目指すのは、半径一キロメートルの中に暮らしの豊かさが揃う、コンパクトな街づくりだ。

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米子城下の町屋を再生する。若者へ「まず一歩踏み出す勇気を」

森さんの挑戦は、これからも続いていく。米子高島屋では、店舗で魅力ある催事を開催してお客様を呼び込むことに加え、外商によってお客様のもとへ商品を届けることにも力を入れている。島根県で百貨店が閉店した後には、松江に外商の拠点を設けた。高島屋の全国的なネットワークを生かし、地方にいながら都市部の店舗が扱うブランド商品を購入できる仕組みをつくっている。

そして今、森さんが新たに取り組もうとしているのが、米子城の城下町に残る古い町屋の再生だ。長い歴史を持つ建物が、住む人を失い、空き家になっていく。そのままでは、文化的価値のある建物が取り壊されてしまうかもしれない。森さんは、そうした町屋の外観や歴史的な価値を残しながら、ホテルや飲食店、雑貨店などへと生まれ変わらせる構想を描いている。

「誰も何もしなかったら、文化的価値のある空き家が売られたり潰されたりする。官民連携で、地域のために貢献していきたい」

そして、森さんはまちづくりに関心を持つ若者たちにも期待を寄せている。

商店街には空き店舗があり、最近では若い世代が古着屋や飲食店を始める動きも出てきた。

「商店街にも空き店舗が数店舗あるんで、そこに学生の方が起業してくれたら、それも嬉しいですね」

百貨店で働くことだけが、地域に関わる方法ではない。自分で商売を始めたり、地域の事業者と新しい取り組みをつくったり。米子には、若い世代が挑戦できる可能性がある。

最後に、若い世代へのメッセージを尋ねた。森さんの哲学は、驚くほどシンプルだった。

「僕はトライアンドエラーやと思ってるんです。まずはやってみる。あかんかったらやり方を変える。その繰り返しで成功まで持っていってほしい。まず一歩踏み出そうよ、と強く思いますね」

百貨店に特別な憧れがあったわけではなかった青年が、スポーツバイヤーとして挑戦を重ね、地方百貨店の危機に向き合い、今では街の未来まで考えるようになった。

そこには、最初から決まった道があったわけではない。目の前の課題に向き合い、まず行動する。その先で人と出会い、また新しい挑戦が生まれてきた。森さんの歩みそのものが、トライアンドエラーの積み重ねだった。今、森さんが目指しているのは、自分がいなくなった後も、百貨店と地域が元気であり続ける未来だ。

一つの百貨店を守ることから、まち全体の未来をつくることへ。

米子高島屋の挑戦は、これからも続いていく。

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